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島田 秀満(しまだ ひでみつ、生没年不詳)は、戦国時代の織田信長の奉行。但馬守、弥右衛門尉。別名は所之助。初名は秀順(ひでより)。 弘治2年(1556年)8月に信長の母の土田御前に末盛城に招かれ、織田信行の降参を村井貞勝とともに信長に伝える。天正2年(1571年)4月25日に信長の命で東大寺八幡宮社人と大仏寺人の諸役を免除する。秀満は兼見卿記(吉田兼見著)の天正3年(1575年)4月11日条に載ったのを最後に史料からは登場しなくなったため、この後、間もなく没したとされる。 == 関連項目 == *二条城 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「島田秀満」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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