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島田空襲[しまだくうしゅう] 島田空襲(しまだくうしゅう)は、太平洋戦争末期の1945年7月26日に、静岡県島田市に対して行われたアメリカ軍による空襲。1発の大型爆弾が使用され、49人が死亡した。 この空襲は、原子爆弾投下の実戦訓練として行われた作戦のひとつであった。使用された爆弾はパンプキン爆弾と呼ばれるもので、後に長崎に投下されたファットマン型原子爆弾を模した形状の特殊な爆弾(模擬原爆)である。1945年7月から、アメリカ陸軍航空軍のB-29爆撃機によって、日本各地に訓練攻撃として投下が行われていた。 アメリカ軍は、新潟市を原爆による攻撃目標の一つとして検討しており、その訓練用攻撃目標として富山市の軍需工場を選定していた。しかし、7月26日の富山市への訓練爆撃は天候不良のために予定通り実行できず、島田市などが代わりの目標としてパンプキン爆弾の投下を浴びることになった。このような天候不良の場合、現場の判断で適当な都市の中心部へと投下することになっていた。そのため、攻撃は、当時の島田市にあった東海パルプや島田海軍技術研究所などの軍事関連施設を狙ったものではなく、無関係の市街地に対して行われる結果となった。 投下地点の島田市扇町6()に残った曹洞宗普門院の横に慰霊碑が残っている。 == 参考文献 ==
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