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島田豊作 : ウィキペディア日本語版
島田豊作[しまだ とよさく]

島田 豊作(しまだ とよさく、1912年3月31日 - 1988年7月11日)は、日本陸軍軍人士候45期。最終階級陸軍中佐群馬県館林市出身。
== 経歴 ==

1929年、旧制館林中学校を卒業後、陸軍士官学校に入校(第45期兵科歩兵)。卒業後は見習士官を経て陸軍歩兵少尉として戦車第2連隊で戦車教育を受ける。
その後、1935年満州事変1939年日中戦争支那事変)に従軍。
太平洋戦争大東亜戦争)緒戦の南方作戦においては、戦車第6連隊麾下の第4中隊長(島田戦車隊、九七式中戦車九五式軽戦車計15両装備)としてマレー作戦に参加。では、第4中隊の戦車および随伴の歩兵・工兵100人余りとともに、トロラク、スリム・リバー、スリムの陣地に対し戦史上稀な戦車による夜襲を決行。全縦深を1日で突破し、さらに戦車の機動力を生かした電撃戦を行い先述の各市街を占領するとともに、イギリス軍司令部を攻撃しスリム市街に進出した事で後方の英印軍1個師団の退路を絶ち包囲・殲滅。またスリムでは鉄橋を無傷で確保した。
その後、1942年4月には戦車第9連隊附として、満州東寧に移動し、さらに1943年3月に陸軍士官学校機甲兵教官として赴任。1945年3月、戦車第18連隊長となり、そのまま終戦を迎える。
戦後は教員免許を取得して母校・館林高校で社会科を教え、定年まで教鞭を振るった。
1988年7月11日死去。享年76。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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