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島田 陽子(しまだ ようこ、1953年5月17日 - )は、日本の女優。旧姓名は島田 陽子→島田楊子。熊本県熊本市出身〔。血液型はO型、身長171cm。駒沢学園女子高等学校卒業。元T.N.B.所属。 == 来歴・人物 == 3歳からクラシックバレエを習い、高校まではバレリーナを目指していた。中学1年生の時に劇団若草に入団〔。 テレビドラマのデビュー作は1970年度版の『おさな妻』である。翌年放映の『続・氷点』では辻口陽子役を演じ、最終回の視聴率は42.7%に達した〔日刊スポーツ・特集「一夜でシンデレラガール 島田楊子」 〕。以降、出演依頼が殺到。1970年代の映画、ドラマで、正義感にあふれた良家の子女役を多く演じた〔週刊アサヒ芸能 2012年6月28日特大号 90年代"ヘアバブル"の到来〕。 1974年(21歳)、”青春もの”学園ドラマ『われら青春!』(主演・中村雅俊)でヒロインの女教師役を演じ、「清純派女優」として若者世代を中心に人気女優となる。 1980年(27歳)、アメリカのテレビドラマ『将軍 SHOGUN』でヒロイン・まり子役を演じ、”外国人男性に尽くす日本女性”としてアメリカで大人気となる。ゴールデングローブ賞を受賞して、「国際女優」と呼ばれるようになる〔。 『将軍 SHOGUN』の大ヒットを受け、翌1981年(28歳)には、アメリカに在住する日系アメリカ人女性マラソン選手・ゴーマン美智子の自伝『走れ!ミキ』を映画化した作品『リトルチャンピオン』に主演した(アメリカ人スタッフによるオール・アメリカ・ロケの映画であるが制作国は日本)。 ロック歌手・内田裕也と交際し、内田に貢ぎ続けて多額の借金をつくる。 1988年、ハワイのコンドミニアムで内田裕也と不倫密会をしている写真を写真週刊誌『フライデー』に掲載される。 内田裕也は島田と結婚するために別居している妻・樹木希林に離婚を申し入れたが樹木は拒否。内田は役所に離婚届を提出したが、樹木は離婚無効の訴訟を起こして勝訴し、内田と離婚しなかった。そのため、島田は内田と結婚することができなかった。 2億5千万円で購入した横浜の豪邸のローンや税金を払えなくなり、さらに自家用車の修理代や引っ越し費用の未払いなど、金銭トラブルが相次いだ。 SM作家・団鬼六から100万円を借りたが返済が滞り、団から債券を引き継いだ不動産会社社長から刑事告訴された。 1992年(39歳)、ヘアヌード写真集を発売。 1994年(41歳)、2歳年下のテレビの照明技術者・米山仁と、2年間の同棲を経て結婚した。米山には妻子がいて、略奪婚であった。 2011年1月(57歳)、MUTEKIからAVデビューし、往年のファンに衝撃を与えた。 なお、1970年に大ヒットした三波春夫等が歌唱した世界の国からこんにちはの作詞者・島田陽子は別人である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「島田陽子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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