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島田青峰 : ウィキペディア日本語版
嶋田青峰[しまだ せいほう]

嶋田 青峰(しまだ せいほう、1882年3月8日 - 1944年5月31日)は、日本俳人翻訳家新聞記者教員三重県答志郡〔青峰の生誕した当時の郡名。答志郡(とうしぐん)は後に英虞郡(あごぐん)と合併し、志摩郡となったため、「志摩郡」出身と表記する文献がある。〕的矢村(現在の三重県志摩市磯部町的矢)出身。本名は賢平。の「しまだ」は「田」と書くのが正式であるが、一般に「田」の表記も用いられる〔村山(1985):100ページ〕。俳号の青峰は、故郷の青峰山(あおのみねさん、標高336m)に由来する〔細井(1996):48ページ〕。
大正時代末期に俳句雑誌ホトトギス』において、池内たけし・篠原温亭鈴木花蓑らと並び、活躍した〔三好・山本・吉田 編(1987):257 - 258ページ〕が、晩年は新興俳句弾圧事件の犠牲となり、俳句史上に悲しい印象を残している〔村山(1985):284ページ〕。
== 来歴 ==

=== 生誕から学生時代 ===
1882年3月8日に、的矢村にて父・峰吉と母・りうの3男として生まれる〔美味し国の料理旅館 橘"伊勢志摩 的矢かき スペイン村-伊勢神宮/風待ち港 "(2011年7月24日閲覧。)〕。地元の的矢尋常小学校(現在の志摩市立的矢小学校)を卒業後、学を成そうと上京、旧制日本中学校(現在の日本学園中学校・高等学校)を出て〔磯部郷土史刊行会 編(1963):270ページ〕1899年(明治32年)に東京専門学校予科に入学、卒業後は早稲田大学哲学科に進むが、後に英文科に転じる〔。途中、病気療養のため帰郷することもあった〔が、(明治36年)に早稲田大学英文科を卒業する〔久松・吉田 編(1974):367ページ〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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