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崔南善(チェ・ナムソン、1890年4月26日 - 1957年10月10日)は朝鮮の詩人、ジャーナリスト、歴史家である。号は六堂(ユクタン)。本貫は東州崔氏。 自ら出版社を起こし、文学の発展に寄与した事業家。雑誌『少年』に載せられた新体詩は朝鮮の近代詩文学の基礎となった。李光洙と共に韓国における近代文学の開拓者である。 日本の終戦後に「国民朝鮮歴史」を上梓し、歴史資料を根拠としない朝鮮半島による日本列島に対する歪んだ優越史観を創作し書き連ね、竹島を歴史的にも朝鮮領であると李承晩政権に吹き込み李承晩ラインと竹島不法占拠に決定的な役割を果した。民族の未来を憂え尽力したが、その末期は親日派の烙印と朝鮮戦争という悲運であった。 == 略歴 == 1890年4月26日、漢陽(現・ソウル)に生まれる。父は崔献圭、母は姜氏。兄は崔昌善、弟は崔斗善、そして妹が3人の6人兄妹の次男。幼い頃に乙支路2街に移り住む。家は祖父の代からの漢方薬屋で、非常に裕福であった。そうした恵まれた環境で南善は5歳から私塾で学業を始め、9歳で『春香伝』や中国の小説などを読みこなし済衆院(セブランス医学専門学校の前身)から聖書などのような本も借りて読んでいた。 1901年、南善が11歳のとき玄晶運の6番目の娘と結婚する。その3年後の第一次日韓協約が締結された1904年、皇室特派留学生の一人に選ばれ班長として東京府立第一中学校に入学する。しかし南善は崔麟ら彼より年上の留学生達の常識はずれの行動に憤り、入学から3ヶ月で帰国してしまう。その後、1906年、16歳のときに再び渡日、早稲田大学の高師部地理歴史科に入学した。だがその年、大学での「模擬国会事件」のため学校をやめ帰国する。 帰国した南善は傾く国を立て直したいと父に頼み、16万ウォンという莫大な金で印刷機を購入する。その印刷機を使い出版社「新文館」を起こし、雑誌『少年』を刊行する。この『少年』は非常な人気を得たがその文芸、地理、歴史、科学などの原稿は南善が1人で執筆していたという。『少年』を通じて南善はそれまでの定型詩を破り、新体詩を築き上げていく。 1914年9月に創刊された文芸雑誌『青春』で、李光洙と共に「文壇二人時代」を呼んだ。『青春』を通して時調、漢詩、雑歌、新体詩、短篇小説、エッセイが大いに盛んになり多くの文士を啓蒙した。 1919年1月、高宗の崩御に日本人の毒殺説が流れ朝鮮内で大きな不満の渦となった。三・一独立運動が起こる前兆である。南善はその運動で発表する「独立宣言書」の起草を任された。3月1日、「独立宣言書」が朗読され三・一独立運動が起こる。その2日後の3月3日、南善は日本当局に逮捕される。1921年10月8日、仮出国した南善は朝鮮の「天下の巨人」として歓迎された。週刊誌『東明』や新聞『時代日報』を創刊するなど、活発な言論活動を行った。特に、1926年に刊行された時調集『百八煩悩』は朝鮮人の心を掴んだ。1927年に「朝鮮と朝鮮民族」第1集に天から下った桓雄と壇君に代表される「不咸文化」は朝鮮起源で古代中国や日本で文化を形成し、ユーラシア全域に広まったとする『不咸文化論』を発表する〔『山海経』などに出てくる中国の伝説上の山で「不咸山」という山があるが、これが一説では太白山(今の白頭山の古名)を指すともいわれていた。そこで善南は白頭山の山麓にあったと妄想した古代文化を「不咸文化」と名付けたのである。彼は「不咸」とは「明るさ」「光明」「天」「天上の神」を意味する古語だとしたが学術的な批判に耐えうるような根拠はない。韓民族中心の文明史論『不咸文化論』が単行本に 朝鮮日報 2009年2月18日〕 1928年12月、南善は朝鮮総督府の朝鮮史編修会の委員になる。世間はこれに対し南善を非難し韓龍雲からは「崔南善という人は、私の中ではもう亡くなった人だ」とまで言われたという。1939年、大日本帝国は満州国の長春に建国大学を設け、その教授の1人に崔を指名、南善は満州に赴き教鞭を執ることとなった。南善は朝鮮の存在を正しく認識させるために尽力したとも言えるが、人々の視線は冷たかった。 1944年、朝鮮に戻り京城(ソウル)市城北区牛耳洞に居を構える。自宅を「素園」と名づけ、引きこもってしまう。解放後の1949年、反民族行為処罰法により処罰を受ける。さらに1950年6月に勃発した朝鮮戦争で長女は共産暴徒に虐殺され3男の漢倹は行方不明、長男の漢因も死亡と不幸が続き17万の蔵書も焼けてしまう。一時、韓国軍の陸軍大学で国史を講義するも1955年4月、病に臥す。それから2年後の1957年10月10日午後5時、67歳で死去した。 その遺体は京畿道楊州郡温水里の先瑩に埋葬された。1959年、素園の跡には「六堂崔南善先生記念碑」が立ち南善の生涯と独立宣言書の一文が刻まれている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「崔南善」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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