翻訳と辞書
Words near each other
・ 崔圭夏
・ 崔基鎬
・ 崔堯三
・ 崔堯森
・ 崔大植
・ 崔天凱
・ 崔夫人
・ 崔奎東
・ 崔始源
・ 崔孝イ
崔孝暐
・ 崔孝直
・ 崔孝芬
・ 崔孝鎭
・ 崔孝鎮
・ 崔季舒
・ 崔学東
・ 崔守斌
・ 崔宏
・ 崔宰銀


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

崔孝暐 : ウィキペディア日本語版
崔孝イ[さい こうい]

崔孝暐(さい こうい、生没年不詳)は、北魏官僚。『魏書』は名を孝暐とし、『北史』は名を孝偉とする。は敬業。本貫博陵郡安平県
== 経歴 ==
崔挺の子として生まれた。若くして長者の風があったと評される。彭城王元勰定州刺史となると、孝暐は召されて主簿となった。冀州安東府外兵参軍を初任とし、員外散騎侍郎・寧朔将軍・員外散騎常侍を歴任した。528年武泰初年)、南方の少数民族の首長の李洪が諸族を率いて反乱を起こすと、孝暐は持節を受けて別将となり、都督の李神軌の麾下で反乱の鎮圧にあたった。河陰の変爾朱栄が朝士の多くを殺害すると、孝暐は弟の崔孝直とともに一家を率いて定陶に避難した。孝荘帝の初年、召されて通直散騎常侍となり、征虜将軍の号を加えられた。まもなく趙郡太守に任じられた。葛栄の乱の後、趙郡では民衆や家畜が離散し、農業生産は激減し、児童売買が横行する惨状にあった。孝暐は流民の定住をうながし、農業や畜産の再建を助け、学校の設立をおこなうなどの施策につとめた。趙郡で死去した。享年は49。通直散騎常侍・平東将軍・瀛州刺史の位を追贈された。は簡といった。さらに安北将軍・定州刺史の位を贈られた。
子に崔昂があった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「崔孝イ」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.