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崔無詖 : ウィキペディア日本語版
崔無ヒ[さい むひ]

崔無詖(さい むひ、? - 天宝14載(755年))は、玄宗朝の地方官。
楊国忠に用いられ、滎陽郡太守となったが、安史の乱において安禄山側に捕らえられ、処刑された。
== 経歴 ==
 京兆長安の出身。本籍は名門の山東四姓の一つ、博陵の崔氏であった。韋后の姻戚にあたり、韋后の恩顧を被っていた中書令蕭至忠の娘と婚姻していた。
 景雲4年(710年)、韋后と蕭至忠が皇子の李隆基(のちの玄宗)によって殺されると、坐して左遷させられた。
 開元年間、益州司馬となっていた時、新都の県尉・楊国忠と親交があった。後日、楊国忠に引き立てられ、陝郡太守から少府監、滎陽郡太守に就任した。
 安史の乱勃発後、安禄山の軍が陳留を陥落させて、河南節度使張介然ら兵を皆殺しにした上で西進してきた。この時、兵を募って拒んだが、勢いにのる安禄山軍の喧噪に城内は震え上がり、兵は自ら城壁から墜落していったと伝えられる。
 崔無詖らは捕らえられて殺された。安禄山側の武令珣が滎陽をおさえることとなった。
 死後、礼部尚書を贈られ、毅勇とされている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「崔無ヒ」の詳細全文を読む



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