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崖のふちプロレス(がけのふちプロレス)は、日本の女子プロレス団体。運営はオフィス都。 == 歴史 == ; 2011年 : 5月25日、アイスリボンに所属していた松本都がICE×60選手権試合で藤本つかさに敗れて退団を表明し、試合後の座談会で「崖のふちプロレス」の旗揚げを表明。 : 6月3日、埼玉県・イサミレッスル武闘館(現:レッスル武闘館)で旗揚げ戦(観衆104人)を行い、松本都と元ノアの菊地毅とのシングルマッチが組まれた。 : 7月10日、第2戦は横浜市・ラジアントホールで開催し、松本とみちのくプロレス代表ザ・グレート・サスケとのシングルマッチが実現した。終了後、そのまま第3戦を開始。親友であり、自身のアイスリボン退団のきっかけとなった藤本つかさと対戦。同所では昼にアイスリボン、夕方にディアナが開かれた。観衆は213人を記録し、ディアナの299人には及ばなかったもののアイスリボンの210人を僅かに上回った。 : 8月20日、第4戦はイサミレッスル武闘館で開催(観衆85人)。アイスリボンを退団し、SMASHへの移籍が決まっている真琴と対戦した。この試合で会場の壁を破壊してしまったため、その肩代わりとして翌日行われたアイスリボンホール]大会でインフォメーションを担当。そこでアイスリボン選手代表さくらえみ及び当日参戦していたSMASH選手代表TAJIRIの古巣であるIWA・JAPANの浅野起州社長の計らいでUMA軍団とのインフォメーションマッチが組まれた。 : 12月29日、第6戦は年明けのアイスリボン退団が決まっているさくらえみと対戦。旗揚げのきっかけを作ったさくらと対戦したことで解散を宣言したが、その後「みやこマニア」と称してさくらに道連れされる危機に晒されていたリボン高梨、さくらと連戦し、最終的には撤回した(この一連の流れは引退を撤回した米山香織による「よねやマニア」のパロディと見られる)。なお、裏の新木場1stRINGでは真琴 vs ミクロ(元・都宮ちい)の元アイスリボン2人によるシングルが組まれた。 ; 2012年 : さくらえみのアイスリボン退団後はアイスの別ブランド扱いとして行われている。 : 3月20日、アイスリボン後楽園ホール大会のダーク・マッチとして米山香織と対戦。しかし、3本目の途中で時間切れとなったため続きを27日にレッスル武闘館で行う。 : 6月24日、初めて首都圏を離れ、名古屋市・スポルティーバアリーナで開催。1部で「入団査定試合」として内藤メアリ対マンモス半田が組まれ、2部で松本、内藤とスポルティーバエンターテイメント代表4名と5番勝負を行い、最後に松本VS彰人のプロレス対決。 : 9月15日、アイスリボン道場マッチ後の座談会でサプライズで登場した高木三四郎との「崖のふちプロレスvsDDTプロレス全面対抗戦時間無制限三本勝負」による対戦が23日の後楽園ホールで行われることが決定。 : 10月16日、12月18日に新木場1stRINGで行われる元アイスリボン最高顧問ミスター雁之助がプロデュースする「鬼神道Returns 11」にて「崖のふちルール」にて、かつてのタッグパートナー葛西純と対戦することが決まる。 : 12月30日、翌日の後楽園ホール大会を最後にアイスリボンを退団する帯広さやかと対戦(120人超満員)。 ; 2013年 : 3月31日、アイスリボン後楽園ホール大会でのシングルマッチがきっかけとなり、5月4日に鈴木みのるを迎えて第11戦を開催。事前の筆記テストの点数を基にしたロストポイント制で試合をおこなうが完敗を喫する(横浜市・ラジアントホール、250人超満員)。 : 12月19日、年内を以って引退するGAMIと対戦。直後にタッグを結成し木高イサミ&宮本裕向のヤンキー二丁拳銃と対戦。 ; 2014年 : 3月16日、大阪で冨宅飛駈と一騎打ちをして敗北。 : 4月1日、フリーとして初戦となる志田光に参戦を要望して一騎打ちを行なう。 : 12月29日、2日後に引退する内藤メアリと対戦。 ; 2015年 : 4月27日、翌月に引退する渋谷シュウと対戦。 : 9月7日、同月に引退する]と対戦。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「崖のふちプロレス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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