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嵐寿之助 : ウィキペディア日本語版
嵐寿之助[あらし じゅのすけ]
嵐 壽之助(あらし じゅのすけ、生没年不詳)は、日本の俳優である。本名青山 正雄(あおやま まさお)。俳優の嵐寛寿郎(アラカン)の弟子であり、付き人である。アラカンからは「ジノやん」というニックネームで呼ばれ、弟子入りの日から、その死の日まで、アラカンと行動をともにした。
== 来歴・人物 ==
1929年(昭和4年)、第一期嵐寛寿郎プロダクションを畳んだばかりの25歳の師匠アラカンとともに東亜キネマ京都撮影所に入社、クレジットに見えるのは翌1930年(昭和5年)のことであり、同年は8本出演、そのうち『勘太と久太』ではアラカンは出演しておらず、和田君示と寿之助が主演している。
1931年(昭和6年)、第二期嵐寛寿郎プロダクションが始まり、1938年(昭和13年)に再度同プロダクションをアラカンが畳むまで、主役のアラカンとともに出演した。『右門捕物帖』シリーズでは「ちょんぎれの松公」役でレギュラーとなった。
1938年、アラカンとともに日活京都撮影所に入社、定番『鞍馬天狗』シリーズではさまざまな端役を演じ、右門シリーズではやはり「ちょんぎれの松公」役でレギュラー。途中、片岡千恵蔵主演のミュージカル時代劇『鴛鴦歌合戦』(1939年)や、原健作主演の『まぼろし城』(1940年)にはアラカンと離れて出演している。
1942年(昭和17年)1月の日活撮影所の戦時統合による大映への合併で、アラカンは大映に残るが、寿之助が出演している記録はない。戦後すぐに、片岡千恵蔵主演、稲垣浩監督の『おかぐら兄弟』(1946年)に出演しているが、その後の出演記録は不詳。
1976年(昭和51年)にルポライターの竹中労の労作『鞍馬天狗のおじさんは - 聞書アラカン一代』が白川書院から上梓されるが、同書はアラカン本人を含め、映画監督の伊藤大輔マキノ雅弘仁科熊彦並木鏡太郎、稲垣浩、女優の森光子とともにインタビューしているが、寿之助も本名の「青山正雄」として登場、50年以上の年月をともに過ごした寿之助のみが知りうる師・嵐寛寿郎についての数々のエピソードを、生き生きと語っている。
アラカン師匠は1980年(昭和55年)10月21日に76歳で亡くなるが、その後の寿之助の消息はわからない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「嵐寿之助」の詳細全文を読む



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