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本願寺(ほんがんじ)は、京都市右京区にある浄土真宗の寺院である。 == 概要 == 1969年4月、真宗大谷派の管長職を宗派の行政機関である内局に計ることなく新門に譲るとした所謂《開申事件》により表面化した大谷家と内局の対立により、やがて内局側によって宗派の基本法規である宗憲の改正が取りざたされるようになった。 これは従来別の宗教法人であった為に関係がギクシャクした本山本願寺と宗派(大谷派)を統合して一体化(宗本一体)するとともに、従来「管長」「法主」「本願寺住職」を三位一体として大谷家当主が兼務することによって宗派の代表権と本山の代表権を独占していた《法主制》を解体して象徴化することによって、宗派と本願寺のすべての権限を宗務総長に一本化することを目指したものであった。 宗憲の改正を推進しようとする宗務当局の強硬な姿勢に対して危機感を募らせ、本山本願寺の伝統とその宗教的主体性を護ろうとした本願寺の24世闡如(大谷光暢)は1978年に本山本願寺の真宗大谷派からの離脱を宣言して法的な手続きを取り、内局の介入を排した独自の運営をすべく独立本願寺の寺務所を設置したことを端緒とする。 その後、当の本山本願寺(宗教法人本願寺)の宗派よりの離脱は、1980年に大谷家側の大谷光暢・智子・暢道の三者と宗派側との間で結ばれた《即決和解》により法的な独立は断念されたものの、その後も宗派側の和解事項が遵守されなかったとする大谷法主の下、独立本願寺の寺務所は「本願寺寺務所」として東本願寺の内事(大谷家の住居)にそのまま存続を続けた。 1981年の大谷派の新宗憲制定により、大谷派は門首制度へと移行したが、それを認めない闡如は門首への就任を拒否して、東本願寺法主として独自の宗教活動を続けた。1993年に闡如が遷化すると、四男の暢道(後、光道に改名)が遺言によって大谷家当主並びに東本願寺の内事にあった闡如の寺務所を継承し、更に闡如が大谷派と所有権を巡って争っていた445点の東本願寺の法宝物の訴訟を引継ぎ、1999年10月22日の最高裁による宗派側の上告棄却によって、「宗派が持つことが望ましい」とされた国宝と重要文化財の指定を受けていた30点余りを除く大半の法宝物(親鸞真筆尊号真像銘文、伝親鸞作親鸞木像、親鸞はじめ歴代真骨等)の所有権を獲得した。 その後2005年に真宗大谷派との間で、内事(東本願寺の庫裏にあたる部分)の居住権を巡っての和解が成立し、内事を立ち退いて明け渡し、新規に獲得した嵯峨の地に移転した。 2007年には、京都府より「宗教法人本願寺」として宗教法人の認証を受け、2010年には本堂を落慶した。 嵯峨の本願寺の公式の見解では、24世闡如遷化(1993年)後 遺言により東本願寺を継職した25世光道(秀如)が、2005年に東本願寺の寺基を烏丸七条から嵯峨に移転したということになり、東本願寺嫡流を名のっている。 == 住職 == 現住職は、25世大谷光道(秀如)。大谷家当主、本願寺法主と称す。新門は三女の大谷光純。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「本願寺 (京都市右京区)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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