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嶋崎重和 : ウィキペディア日本語版
嶋崎重和[しまざき しげかず]

嶋崎 重和(しまざき しげかず、1908年明治41年)9月9日 - 1945年昭和20年)1月9日)は、日本海軍軍人空母瑞鶴」飛行隊長として真珠湾攻撃で第二次攻撃隊長を務めた。戦死による二階級特進で最終階級海軍少将
== 略歴 ==
本籍大分県。鉄道局技師・澤重元の三男として奈良市で生れ、嶋崎家の養子となる。上野中学校、岡崎中学校を経て、1929年昭和4年)3月、海軍兵学校第57期)を卒業。1930年(昭和5年)12月、海軍少尉任官
高橋赫一の薦めにより、高橋の妻の妹と結婚する。
1932年(昭和7年)12月から翌年7月まで、第23期飛行学生として訓練を受けた。1935年(昭和10年)10月、空母加賀分隊長となり、霞ヶ浦海軍航空隊・空母「蒼龍」・横須賀海軍航空隊の各分隊長を経て、1939年(昭和14年)6月、練習航空隊高等科学生となる。同年11月、空母「赤城」分隊長に着任し、1940年(昭和15年)11月、海軍少佐に昇進し、霞ヶ浦空飛行隊長に就任。第14航空隊飛行隊長を経て、1941年(昭和16年)9月、空母「瑞鶴」飛行隊長に異動し、太平洋戦争を迎え、12月8日真珠湾攻撃において第二次攻撃隊長として参戦した。26日昭和天皇へ真珠湾攻撃の軍状奏上を行う。
1942年(昭和17年)8月、名古屋海軍航空隊飛行長となり、横須賀空飛行隊長、第752航空隊飛行長を歴任し、1944年(昭和19年)10月、海軍中佐に進み第2航空艦隊参謀に就任した。1945年(昭和20年)1月8日、第3航空艦隊司令部付となり、翌日、台湾方面で戦死。同年末、戦死時にさかのぼって二階級特進し、海軍少将に任ぜられた〔昭和20年12月4日付 第二復員省辞令公報 甲 第3号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072157700 で閲覧可能。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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