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嶋本 昭三(しまもと しょうぞう、1928年1月22日 - 2013年1月25日)は、日本の芸術家、現代美術家。京都教育大学名誉教授、宝塚造形芸術大学教授、日本障害者芸術協会会長。 長男はジャズトランペッターの嶋本高之(しまもと たかし、1964年 - )。二男はバリトン歌手の嶋本晃(しまもと あきら、1969年 - )。 ==来歴== 大阪府生まれ。関西学院大学文学部卒業。 1954年、戦後日本の現代美術を代表する「具体美術協会」の創立メンバーとなる。「具体」という名の提案者〔嶋本昭三オーラル・ヒストリー、加藤瑞穂と池上裕子によるインタヴュー、2008年8月21日 日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ〕。以降主な具体全展に出品。具体美術展に出展した、瓶詰した絵具を画面上で炸裂させる大砲絵画パフォーマンスや、ヘリコプターよりペイントを落としての絵画制作パフォーマンスなどが有名。 1970年代より「メールアート」と称した年間60か国8000のネットワーク交流によって世界の多くのプロジェクトに参加。国内外で精力的に活動を続け高い評価を得ていた。1976年、前年に結成された「アーティスト・ユニオン」の事務局長に選ばれる〔AUと嶋本昭三 〕。 1998年、アメリカMOCA「戦後の世界展」に世界の四大アーチストの一人に選ばれる。現在も多方面で活躍している、兵庫県の新西宮ヨットハーバーで100年かけてのアートを制作中であった。こちらもクレーンから瓶を投げ落とし作品を制作している。このヨットハーバーでの制作理念は広島・長崎に投下された原爆製造に関わった原子物理学者バーン・ポーターが嶋本を訪れ、「ノーベル平和賞候補」に推薦したときから平和のパワーへの信念を強め、それらの理念から制作を始めた。 また若手アーティスト育成にも力を入れており、アート・アンアイデンティファイド(AU)を主催していた。イタリアでの活躍が目立ていた事もあり海外における嶋本の評価はかなり高い。兵庫県西宮市にアトリエがある。 2013年1月25日、急性心不全により死去。。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「嶋本昭三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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