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岳雲(がく うん1119年 - 1141年)は、中国南宋の武将。岳飛の息子。生母劉氏〔邓广铭 『岳雲は岳飛の養子か』〕。字は應祥。 なかなか男子が恵まれなかった岳飛の養子となり、武勇に優れ、武将としての素質に頭角を現した。 だが、南宋の宰相の秦檜は岳飛父子が目障りで、目の上の痰瘤だった。そこで彼は金の皇族の梁王・完顔宗弼(兀朮・斡啜)と密約を結んで、岳飛及びその長子の岳雲を逮捕して投獄した。1141年の冬に、岳雲は秦檜によって父の岳飛と共に極刑され、晒し首にされたという。享年23。 その死後、岳飛父子に対する人々の同情によって建てられた岳廟(がくびょう)では、岳雲は父・岳飛の隣の堂にまつられており、墓も岳飛の墓の隣にある。そして岳飛父子の墓の前には、彼らを陥れた秦檜夫婦・張俊らが揃って後ろ手に縛られ、跪いている銅像がある。 ==子== *岳甫 *岳申 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岳雲」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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