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巌崎健造 : ウィキペディア日本語版
巌崎健造[いわさきけんぞう]
巌崎健造(いわさきけんぞう、天保12年(1841年) - 大正2年(1913年)10月2日は、囲碁棋士武蔵国出身、9世安井算知門下、八段。元の名は海老沢健造。方円社3代目社長として、碁界のもう一方の本因坊秀栄とともに明治後半の囲碁界を取り仕切り発展に努めた。
==経歴==
多摩郡田無村の貧しい家に生まれ、幼名は鍋吉。新座郡新倉村東福寺に預けられ忍治となる。太田雄蔵に師事するが、後に安井算知門下となり、健造と名乗る。安政4年(1857年)16歳で初段。安政6年(1859年)に本因坊秀策と二子で十番碁を打ち、7勝3敗で先二の手合として四段に進む。文久2年(1862年)に村瀬弥吉に先番で勝って五段昇段。安井家四天王の一人とされた。この頃算知の息子算英の碁を見て稚拙さに手を上げたが、かえって算知に褒められたということもあった。
明治維新後は大久保利通に従い、東京府消防指図役、神奈川県始審裁判所書記などの官職につき地方を歴任したが、明治15年(1982年)に司法庁所属となって東京での方円社の手合にも参加するようになる。またこの間に絶家となっていた巌崎家を継ぐ。明治20年六段。明治25年、中川亀三郎に請われて方円社の副社長となり、明治27年(1894年)七段。明治32年(1899年)に中川の後を継いで三代目社長就任、明治39年(1906年)八段昇段。大正元年(1912年)、二代目中川亀三郎(石井千治)を後継社長として引退。翌年73歳で没。門下に鈴木為次郎

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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