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川の流れのように : ウィキペディア日本語版
川の流れのように[かわのながれのように]
川の流れのように(かわのながれのように)は、
#美空ひばりの楽曲。本項で詳述。
#奥村チヨの楽曲。1971年8月10日東芝レコードより発売。作詞は橋本淳、作曲は中村泰士
#2000年春に東宝系で公開された邦画。#1をモチーフとした人生観をテーマに秋元康が監督を務め、森光子田中邦衛が主演。→川の流れのように (映画)
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川の流れのように」(かわのながれのように)は1989年1月11日に発売された、日本歌手美空ひばりの生前最後に発表されたシングル作品である。
== 解説 ==
作詞は秋元康、作曲は見岳章による。オリジナルの編曲は竜崎孝路によって行われた。元々は1988年12月発売のアルバム『川の流れのように〜不死鳥パートII』の表題曲で、シングルカットは、当初スタッフの意見は全員一致でポップス調の「ハハハ」にするつもりだった〔「うたの旅人 激流に映す自らの過去」朝日新聞 be on Saturday 2008年4月5日付朝刊、p.9。〕が、レコーディングしたひばり本人の強い希望もあってこちらに変更された。なお、「ハハハ」は1990年6月21日に同じく『川の流れのように〜不死鳥パートII』収録曲である「女は昨日のために男は明日のために」をカップリングとしてシングルカットされた。
元々、アルバム『川の流れのように〜不死鳥パートII』は「自分の歌から遠い若い世代の人たちにメッセージを残したい」というひばりの意向により製作されため、作詞には当時、作詞家・放送作家として若者から人気を得ていた秋元が起用された。当初、「ハハハ」をシングルカットする意向だったスタッフに対して、ひばりは自分の人生と本楽曲を重ねて「1滴の雨が木の根を伝い、せせらぎが小川になる。水の流れがあっちにぶつかり、こっちに突き当たりしながらだんだん大きくなる。やがて大河になり、ゆっくりと海にたどり着く」と発言し、本楽曲のシングルカットを希望。「あちこちにぶつかり」を説明するひばりのジェスチャーもだんだん大きくなって、普段はスタッフの意見を尊重するひばりが「これだけは私に決めさせて」と熱望したという〔。
1988年10月11日日本コロムビア本社内で行われた、オリジナルアルバム製作の報告も兼ねた、ひばりにとって生涯最後の記者会見の時にひばりは本楽曲について自ら発言している。この記者会見前には、当初はシングル化されるはずだったアルバム内の一曲「ハハハ」を秋元が立ち合いの下、公開初披露されていた。ある記者が「ひばりさん、今回のアルバムを楽しみにされているファンの方々が沢山いらっしゃるかと思いますけれども、アルバムに収録されてる10曲がどんな曲なのか、紹介していただけますか?」と投げかけた。するとひばりは「えー…もう『川の流れのように』の曲を1曲聴いていただくと、10曲全てが分かるんじゃないでしょうか。だからこれからの私。大海へスーッと流れる川であるか、どこかへそれちゃう川であるかっていうのは誰にも分からないのでね。だから『愛燦燦』とはまた違う意味のね、人生の歌じゃないかなって思いますね…」と、それまでのスタッフの意向を全て覆す回答を残した。ひばりの記者会見後、製作部はバタバタしながら1989年1月のリリース準備に入ったという。
1989年平成元年)1月11日日本コロムビアより発売されたが、同年6月24日、ひばりは52歳で死去し、結果的に本楽曲は遺作となった。没後にシングル盤は売上を伸ばし、150万枚を売り上げるミリオンセラーとなり〔、1964年の「」に次ぐヒット曲となった。
また、1989年7月22日青山葬儀所で執り行なわれた美空ひばりの本葬では、北島三郎都はるみ雪村いづみ森昌子等といった数多くの歌手仲間がこの曲を葬場で歌い、ひばりの霊前に捧げた。
この曲の『川』とは、ニューヨークイースト川のことである。当時の秋元はニューヨークに在住しており、現地のカフェ「カフェ・ランターナ」で作詞した。秋元は、いつも作詞を終えてからタイトルを付けているが、その時は不思議と何も考えずに「川の流れのように」というタイトルから書き始めた唯一の作品だという〔『スポーツニッポン』2014年4月26日付〕。後に本人は、「多分それはずっとイーストリバーを見ていたからなんでしょう」と回想している〔Musicman's RELAY 第86回 〕。
同年末の第31回日本レコード大賞では、本楽曲に「金賞」と「作曲賞」が授与されるとともに、故人となった美空ひばりにも「特別栄誉歌手賞」が授与された〔日本レコード大賞の歴史  「第31回:1989年」 より〕。長年にわたる彼女の偉大な業績を称えて、この年から日本レコード大賞に「美空ひばり賞」(後に「美空ひばりメモリアル選奨」へ変更)も新設された。
本曲(フルコーラス)を、生前のひばり本人が歌唱する貴重な映像を持つテレビ局は、TBS(正月特番『春一番! 熱唱美空ひばり〜いま誓い新たに燃える不死鳥全25曲〜』1989年(昭和64年)1月4日放送)、テレビ東京(『演歌の花道』1989年(平成元年)1月15日放送)、フジテレビ(『ミュージックフェア』1989年1月15日放送)の3局のみである。この内、TBSの番組素材を用いて、日本コロムビア制作によるレーザーディスクカラオケの本人歌唱映像として編集され、1990年代に市販されていた。2004年からは同社の出資会社でもある第一興商の「BBサイバーDAM」「プレミアDAM」におけるカラオケ映像としても流用されている。
日本放送協会(NHK)が1997年4月から12月にかけて実施した「20世紀の日本人を感動させた歌」の人気投票で、全国1775万4314票・1万9824曲の投票の中から本曲が43万7518票を獲得して1位に選ばれた〔『産経新聞』1998年2月12日付東京朝刊。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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