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川上久盛[かわかみ ひさもり] 川上 久盛(かわかみ ひさもり、慶長19年2月17日(1614年3月27日) - 元禄14年(1701年))は江戸時代前期の薩摩国島津氏の家臣で、薩摩藩士。幼名は千寿丸、通称は助之兵衛、助之進、摂津介。父は川上久林、母は新納忠堯の娘。 川上久林の次男として誕生したが、兄で踊(現・鹿児島県霧島市)地頭の川上久如が26歳で早世し、その子である千徳丸(後の川上久処)が幼少であったことから家督を継ぎ、代理として踊の地頭となった。 寛永9年(1632年)、熊本藩2代藩主の加藤忠広が改易となった際、万一の加藤氏側の反抗に備え、踊の人数を率いて島津久元らと共に肥後国へ出張している。寛永16年(1639年)、千徳丸が元服すると踊の地頭を辞職し、家督も譲渡した。 元禄14年(1701年)に死去した。享年88。法名は「昌盛繁」。 ==参考文献==
*『本藩人物誌』 鹿児島県史料集(13)(鹿児島県史料刊行委員会)
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「川上久盛」の詳細全文を読む
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