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川久保 玲(かわくぼ れい、1942年10月11日〔『10月11日は川久保玲の誕生日です 』 2013年10月11日 FASHION HEADLINE〕 - )は、日本のファッションデザイナーで、ファッションブランド「コムデギャルソン」の創始者〔『川久保玲(かわくぼれい)とは 』 ブリタニカ『ブリタニカ国際大百科事典』(2014年)・講談社『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』(2009年) - コトバンク〕。株式会社コムデギャルソンの創業者にして設立から現在に至るまで代表取締役社長を務めるオーナーデザイナー。 == 略歴 == *東京に出生。父親は慶應義塾大学の職員であった。慶應義塾大学文学部哲学科を卒業後、株式会社旭化成宣伝部に入社。3年で退職し、フリーランスのスタイリストとなる。 *1969年にファッションブランド「コムデギャルソン」(Comme des Garçons、仏:少年のように)を立ち上げ、高級既製服(プレタポルテ、婦人服)の製造・販売を開始。1973年には株式会社コムデギャルソンを設立し、現在も同社社長を務める。 *1975年、東京コレクション初参加。 *1981年、パリコレクション初参加。体の線を意識し女性性を謳歌するような西洋のデザインとは全く異なる、川久保の直線的でノンセクシャルな初パリ・コレクションは、ボロ布のようだ、ヒロシマ・シックなどと揶揄されたが、そのアバンギャルドな服作りは、パリのファッション界に大きな衝撃を与えた。〔KCIデジタルアーカイブス 1980'S秋冬コレクション Rei Kawakubo Iデジタルアーカイブス公式サイト 2013年3月30日閲覧〕 *1982年、パリコレで伝説の黒服を発表。パリ・オートクチュールを頂点とする世界のモード界を震撼させた川久保の「黒服、穴あきニット(Hole Sweater)」は「黒の衝撃」と呼称された。世界中のファッション・ジャーナリストが賛否両論書きたて、「西洋の服への冒涜!」とする否定派と「新しい女性の生き方」「新しい美しさの提案」とする賛成派で、国際世論は真っ二つに割れた。黒い穴あきセーターを「スイスチーズ(穴あき)のセーター(Swiss cheese sweaters)」と命名したファッションジャーナリスト(Suzy Menkes氏 I・H・T紙)もいた。川久保の黒い穴あきセーターは、日本 でも「カラス族」「ぼろルック」として流行した。 *1997年のパリコレシクョンでは、体に不自然なコブを付けたライン(テーマ:ボディ ミーツ ドレス、ドレス ミーツ ボディ)を打ち出し〔KCI 〕、体と服の相互の束縛を解き放つという新しいコンセプトで、尖鋭的なデザイナーとしての地位を確立した〔Fashion Designers: The Work and Influence of Issey Miyake, Yohji Yamamoto and Rei Kawakubo by Bonnie English 〕。 *夫はイギリス人であり、コムデギャルソン・インターナショナルのCEOを務める。もともとは日本語とチベット語専攻のため来日。ファッションデザイナーになった実妹の東京でのビジネスを手伝ったのがきっかけで、ファッション業界に関わり、1987年にパリのコムデギャルソンで働いた。1991年に退職して地中海クラブに移ったが、川久保の要請で翌年コムデギャルソンに戻り、川久保と結婚した。インタビューで夫は「皆誤解しているが、彼女は古い木や犬や猫、大粒のダイヤモンドが好きな優しい女性だ」と述べている〔Joffe Interview by The Star Online 〕。 *2001年、芸術選奨受賞。2006年から英スピード社と提携しており、同社製高速水着「レーザー・レーサー」の五輪公式デザインも手掛けた。 *2012年、ファッション界のオスカー賞と称される、米「CFDA(Council of Fashion Designers of America)ファッション アワード(国際賞)」を受賞(69歳)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「川久保玲」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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