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川井房郷(かわい ふさくに、生没年不詳)は、明治後期から大正にかけて活躍した将棋棋士。七段。本名は川井房次郎。愛知県出身。 == 経歴 == 出自や師匠など定かではないが、1909年に関根の将棋同盟会(後の将棋同盟社)設立に参加するなど、関根派と行動を共にしている。將棊新報社の將棋定跡講義では、関根、蓑太七郎、土居市太郎(両者とも関根の弟子)とともに講師を務めた〔將棊新報社編輯部編「將棋定跡講義」大阪屋號書店、1930年〕。 明治44年(1911年)10月の『将棋新報』において、明治の人気棋客の一人として紹介される。その時点では六段であった。大正4年(1915年)に七段。 関根金次郎や阪田(坂田)三吉ら当時の著名な棋士と対局した際の棋譜が現存する。 『大正將棋名手番附』〔東京番附調査會「七十余類今古大番附」文山館書店、1923年〕では、西の小結に位置付けられ、当時の棋界で実力者として認知されていたことがうかがえる。 弟子の一人に石井秀吉がいる。 川井一門の系統には佐瀬勇次や平野広吉、所司和晴といった後身の育成に熱心な棋士がおり、タイトル経験者としては米長邦雄、高橋道雄、丸山忠久、渡辺明、中井広恵が含まれる。 中京駒の作者としても知られ、駒師の奥野一香に駒作りを教えたのも川井である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「川井房郷」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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