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川保 麻弥(かわほ まや、1984年4月6日 - )は、埼玉県上尾市出身の元女子プロ野球選手、野球指導者。 血液型はB型。現役引退後の2014年からは、日本女子プロ野球機構加盟球団の埼玉アストライアで監督を務める〔(「日刊スポーツ」2014年1月27日付記事)〕。 == 経歴 == ===プロ入り前=== 小学校2年生の時に、実家の近所に住む少年野球のコーチに勧められて、地元のスポーツ少年団で野球を始めた。小学校5年生から捕手に転向。「女性の体力や筋力では、時速150kmのボールを投げられない。でも、ブルペンキャッチャーとしてボールを捕ることなら、男性でも女性でも関係なさそう」という理由から、読売ジャイアンツのブルペン捕手を志していた〔女子プロ野球 川保が魅せる“駆け引き“ (「スポーツニッポン」2013年9月12日付記事)〕。 上尾市立東中学校時代には軟式野球部に所属。埼玉栄高等学校への進学後は、女子硬式野球部に在籍するとともに、捕手として坪内瞳投手との同級生バッテリーで活躍した。1年生の時には、高校生の選手でただ1人、女子硬式野球日本代表へ選出。2年生の時に全国高等学校女子硬式野球選抜大会、3年生の時に全国高等学校女子硬式野球選手権大会で、それぞれ優勝を経験している。 日本体育大学への進学後に、女子硬式野球チーム新波を発足。関東地方の女子アマチュア硬式野球リーグ・ヴィーナスリーグでは、捕手などのベストナインに3度選ばれたほか、2007年秋には首位打者を獲得した。また、同リーグの公式戦では、通算本塁打(6本塁打)およびシーズン本塁打(4本塁打)の最多記録を樹立。通算本塁打記録については、2013年のシーズン終了時点でも破られていない〔関東女子硬式野球連盟公式サイト 過去の記録 〕。 大学卒業後の2008年から、体育教諭として上尾市立大石中学校に勤務。男子野球部の顧問として50人の部員をまとめていたが、2009年に日本女子プロ野球機構による第1回合同トライアウトで合格したことを機に、中学校を退職した。同年12月のドラフト会議で、兵庫スイングスマイリーズへの加入が決定。同チームへ同時に加入した坪内と、再びバッテリーを組むことになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「川保麻弥」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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