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川俣清音[かわまた せいおん] 川俣 清音(かわまた せいおん、明治32年(1899年)5月15日~昭和48年(1973年)12月7日)は、大正、昭和期の日本の社会運動家、農民運動家、政治家。 == 経歴 == 明治32年(1899年)5月15日北海道余市郡余市町に生まれる。大正12年(1923年)早稲田大学を卒業する。大学在学中から農民運動に参加し、大正13年(1924年)秋田県で日本農民組合(日農)支部を組織する。日農では中央委員を務め、小坂銅山争議では、加藤勘十、浅沼稲次郎、三輪寿壮らとともに現地に赴き争議を指導する。 昭和5年(1930年)地方無産党から衆議院選挙に立候補するものの落選。昭和11年(1936年)社会大衆党から衆議院議員に初当選する。以後当選通算8回。戦後は日本社会党に所属し、中央執行委員などを歴任する。昭和30年(1955年)の左右社会党統一、社会党結党時には書記長候補に名が挙げられた。 社会党衆議院議員の川俣健二郎は養子。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「川俣清音」の詳細全文を読む
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