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川元正英 : ウィキペディア日本語版
川元正英[かわもと まさひで]

川元 正英(かわもと まさひで、1971年6月21日 - )は神奈川県出身の元サッカー選手。
==来歴==
厚木南高校から東海大学に進学してサッカー部に所属。卒業後は富士通に入社し、アマチュア選手としてジャパンフットボールリーグ(旧JFL)に所属する自社の富士通サッカー部でプレーし、レギュラーを獲得した。その後自らの負傷や他の選手とのレギュラー争いにより出場試合数が増減し、1997年には「川崎フロンターレ」としてプロ化してJリーグを目指すこととなった。旧JFLとしての最後のシーズンとなった1998年には再びレギュラーに返り咲いた。後に「博多の森の悲劇」と語られる同年11月19日J1参入決定予備戦でも延長戦を含めてフル出場したがチームはアビスパ福岡に3ゴールを許して敗れた。
1999年、クラブがJリーグ2部(J2)に参加した際、川元はプロ契約を結ばず、同僚の小松崎保久野智昭などと同じく社員選手としてJリーグでプレーした。このシーズンは佐原秀樹の成長により控えに回る、あるいはベンチから外れることが多くなり、チームがJ2優勝とJ1昇格を決めたシーズン終了後に川元は退団し、社業に専念する事になった。なお、この年には東海大学の後輩の寺田周平が入団し、開幕戦などで同時に先発した。
川崎退団後、2000年は平日に富士通で勤務しながら神奈川県社会人リーグ1部の神奈川県教員サッカークラブに参加し、天皇杯の本大会に神奈川県代表として参加した。また、2006年9月17日に行われたフロンターレ10周年記念の「OBドリームマッチ」では、前日に川崎市等々力陸上競技場で行われた交流イベントと共に参加し、久々に川崎サポーターからの歓声を受けた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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