翻訳と辞書
Words near each other
・ 川副町立川副中学校
・ 川副綱隆
・ 川劇
・ 川勝あか梨
・ 川勝三朗
・ 川勝主一郎
・ 川勝久
・ 川勝亦楽窓
・ 川勝亮太郎
・ 川勝伝
川勝傳
・ 川勝光照
・ 川勝光隆
・ 川勝千可子
・ 川勝博
・ 川勝博康
・ 川勝和哉
・ 川勝均
・ 川勝堅一
・ 川勝堅二


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

川勝傳 : ウィキペディア日本語版
川勝傳[かわかつ でん]
川勝 傳(かわかつ でん、1901年明治34年)7月12日 - 1988年昭和63年)4月23日)は、昭和初期から末期(1930年代 - 1980年代)の日本経済人・経営者。元・南海電気鉄道会長。
== 来歴 ==
京都府船井郡富本村(現・南丹市)出身。立命館大学法学部卒業後、電通へ入社。後同盟通信に転じ経済記者となる。1937年、同盟通信社内国経済部長ついで大日本紡績連合会理事・東京出張所長〔『大衆人事録 第二十三版 西日本編』広瀬弘、帝国秘密探偵社、1963年8月10日、か295頁〕。1944年寺田合名理事となり、日本スピンドル製造社長に就任。
相次ぐ事故で経営が傾いていた南海電気鉄道会長兼社長をはじめ、南海ホークスオーナー、南海建設(現・南海辰村建設)、南海不動産各会長などの南海グループ企業の他、日本民営鉄道協会会長、毎日放送監査役、桃山学院理事長など多くの要職を歴任。
また、古くから中国にも関心を抱き、1952年(昭和27年)に日中貿易促進会議結成に中心的役割を果たした。1950年代に開催された中日民間貿易協定の交渉には4度出席したほか、1957年(昭和32年)と1971年(昭和46年)には、関西財界代表団を組織して訪中、日本経済界と中国政財界との友好関係確立に大きく貢献したことで知られている。1985年(昭和60年)には財界人として初めて北朝鮮を訪問した。1988年(昭和63年)4月23日没、享年86。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「川勝傳」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.