翻訳と辞書
Words near each other
・ 川勝広氏
・ 川勝広永
・ 川勝広當
・ 川勝広當 (讃岐守)
・ 川勝広継
・ 川勝広綱
・ 川勝広能
・ 川勝広致
・ 川勝広良
・ 川勝広良 (清三郎)
川勝広英
・ 川勝広豊
・ 川勝広豊 (清三郎)
・ 川勝広運
・ 川勝広道
・ 川勝広達
・ 川勝広長
・ 川勝康弘
・ 川勝忍
・ 川勝承哲


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

川勝広英 : ウィキペディア日本語版
川勝広英[かわかつひろしえい]

川勝 広英(かわかつ ひろひで)は、江戸時代前期から中期の旗本。知氏系重氏流川勝家の4代当主。
== 生涯 ==
寛文5年(1665年)、川勝隆房の三男として江戸に生まれ、後に川勝広宣の末期養子となった。元禄3年(1690年)8月6日、義父広宣の死去により、その家督(下野内300石、蔵米400俵)を継ぎ、同年10月23日に初めて将軍徳川綱吉に謁見した。
元禄10年(1697年)7月26日、蔵米を改めて、常陸国新治郡筑波郡河内郡内において400石を給わり、全てで下野常陸内700石を知行した〔これにより、知行地から収納する年貢米が収入となる知行取りに、広英の代より改められた。〕。元禄11年(1698年)3月19日、書院番に列し〔書院番は小姓組とともに両番といわれ、実力のある者には栄達の途が開かれていた。〕、元禄14年(1701年)5月26日に桐間番に移り、同年8月7日に書院番に戻った。享保18年(1733年)7月22日、69歳で没した。家督は婿養子の広達が継いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「川勝広英」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.