翻訳と辞書
Words near each other
・ 川勝氏徳
・ 川勝氏方
・ 川勝氏記
・ 川勝泰介
・ 川勝泰司
・ 川勝清司
・ 川勝清歩
・ 川勝瀬平
・ 川勝益氏
・ 川勝秀氏
川勝継氏
・ 川勝総本家
・ 川勝總本家
・ 川勝義雄
・ 川勝良一
・ 川勝良昭
・ 川勝英樹
・ 川勝茂弘
・ 川勝蓬仙
・ 川勝貞徳


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

川勝継氏 : ウィキペディア日本語版
川勝継氏[かわかつ つぐうじ]

川勝 継氏(かわかつ つぐうじ)は、戦国時代から安土桃山時代丹波武将。本姓は秦氏で、秦河勝の後裔とされる。
== 生涯 ==
享禄4年(1531年)、川勝広継の嫡男として丹波に生まれた。丹波国桑田郡船井郡内を知行し、桑田郡今宮に住んで、室町幕府13代将軍足利義輝奉公衆として仕えた。
その後、15代将軍・足利義昭織田信長が対立すると信長に従った。天正元年(1573年)、信長の命を受けた細川藤孝に従って、山城国淀城攻め(第二次淀古城の戦い)〔足利義昭の求めに応じて、岩成友通が淀古城に立て篭もって奮戦したが討ち取られた。〕に参加している。天正4年(1576年)からの明智光秀の丹波攻略には与力となって協力し〔継氏の手勢は、同じ丹波の国衆のうち反信長を掲げた宇津氏攻めなどで活躍した。〕、信長により戦功を賞された。天正10年(1582年)の本能寺の変以降は豊臣秀吉に仕え、同年9月9日には嫡男・秀氏が秀吉より丹波国何鹿郡内で3,535石を与えられている。慶長3年(1598年)、初めて徳川家康に謁見し、秀吉死後は家康に仕えた〔『寛政重修諸家譜』の記述によった。『戦国人名事典コンパクト版』によれば、関ヶ原の戦いでは西軍に加わり所領を没収されたとある。〕。
慶長7年(1602年)3月21日、72歳で死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「川勝継氏」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.