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川勝貞徳 : ウィキペディア日本語版
川勝貞徳[かわかつ さだのり]

川勝 貞徳(かわかつ さだのり)は、江戸時代前期から中期の旗本。貞徳流川勝家の初代当主。
== 生涯 ==
貞享2年(1685年)、新庄氏の男子として江戸に生まれ、後に川勝貞久の婿養子となった。正徳3年(1713年)11月29日、義父貞久の家督(禄高は不明)を継ぎ、表火番、挑灯奉行徒目付等を経て植木奉行に至った。その後、作事下奉行となり、拝謁を許され、旗本家を興した〔将軍に謁見が許されれば、御目見得の士として旗本として認められた。〕。家紋は釘抜、五三桐。通し字は「」。
享保20年(1735年)12月19日、畳奉行に進んだ〔小禄の旗本が就く下位の役職には、御家人が就任することも少なくなかった。〕。元文元年(1736年)鶴岡八幡社補修の時、同年7月24日に命を受けて鎌倉に赴き、日光山御宮修造の時にも日光山に出かけた。元文4年(1739年)12月18日、表台所頭となったが、寛保2年(1742年)5月12日に配下の者の養子の事について落度があり、配下の者と伴に逼塞となり、同年8月28日に許された。延享4年(1747年)8月13日、西城の勤めとなり、宝暦6年(1756年)7月25日に老いのため職を辞して、小普請となった。この時、黄金2枚を給わった。宝暦7年(1757年)6月14日に隠居し、同年7月21日、73歳で没した。家督は嫡男の氏記が継いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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