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川島 なお美(かわしま なおみ、1960年11月10日 - 2015年9月24日)は、日本の女優、タレント、歌手である。戸籍名は、鎧塚 なお美(よろいづか なおみ、旧姓:川島)。血液型はAB型。二人姉妹の長女。 愛知県守山市(現・名古屋市守山区)出身。2010年6月より太田プロダクション所属。夫はパティシエの鎧塚俊彦。 == 来歴・人物 == 愛知県立中村高等学校、青山学院大学文学部第二部英米文学科卒業。大学在学中に芸能界にデビュー。女子大生タレントの先駆けとなる。学生時代は剣道部に所属し有段者である。大学生時代に試験でカンニングをした。この際の「開き直り」的発言が一部で物議を醸した。 文化放送が『セイ!ヤング』の後番組として、1981年10月からスタートさせた『ミスDJリクエストパレード』の初代DJに抜擢され、深夜の顔となる。当時は大学在学中であり、女子大生DJと呼ばれた。 1982年、中京テレビ制作(日本テレビ系)『お笑いマンガ道場』の三代目女性レギュラーとなり、プロ顔負けの漫画のうまさと、芸人顔負けのネタの巧みさを披露し、同世代からの人気を獲得した(ちなみに女性レギュラー初代は元「ゴールデン・ハーフ」のエバ・マリー、二代目は秋ひとみ、四代目は森山祐子)。1989年8月8日、9月から明治座で『水戸黄門』の舞台公演でのフィルム撮影の為現場に向かう途中に、ロケバスが崖から転落する事故に遭った。第七頸椎を骨折する大怪我を負ったが顔は無傷だったことをすぐに確認したという。そのまま復帰することはなく降板に至った。 キャンパス・クィーンのイメージがいつまでも抜けず、出演番組は限られるなど不遇な時代が長く、広い世代に知名度が高まるまでにかなりの時間を要した。しかし、『イグアナの娘』や『失楽園(TVドラマ版)』への出演(特に失楽園はTVドラマでもヌードを辞さない主演で話題となった)をきっかけに、女優として知られるようになった。以降、ベッドシーンでは「子宮が呼吸できない気がする」との理由で撮影中に前張りを取ることを『週刊ポスト』(1997年11月3日号)のインタビューで告白したり、30代にしてヘアヌード写真集『WOMAN』を発表するなど、裸体も辞さないセクシー女優の代表格のように認知された(ちなみにヘアヌード黎明期に出版された写真集は大ヒットを記録した)。この方向転換は、判事だった父の立場を考慮し、父が退官するのを待ってから行った。 『おしゃれカンケイ』にゲスト出演した際、通常スタジオの観客は番組スポンサーの方針で女性と決められているが、川島が出演する回に限り、観客は男性限定となった。 2013年8月に健康診断で腫瘍が見つかり、即手術を勧められるも拒否。代替策としての抗がん剤治療も拒否した。腫瘍は肝内胆管癌であることが判明。「この人になら命を預けられる」と思える医師との出会いを果たして、翌年1月末に手術をうけた。川島の望みどおり、全て腹腔鏡下で行われた手術は12時間にも及んだという。術後の5年生存率が40〜50%であると言われるなか、術後補助化学療法等は行わず、予後の健康維持の管理にビタミンCの点滴、民間療法、悪い気の排除などの施術(エビデンス不明)に取り組み、各媒体に復帰した。川島はブログで「完治した」と述べるも、2014年7月に再発が判明、夫に対しては余命1年未満の宣告がなされた。川島は余命を知らされない状態で抗がん剤治療拒否を決断。以降も代替医療に励みながら芸能活動を続けた。 2015年9月17日、出演中のミュージカル『パルレ〜洗濯〜』を、体調不良を理由に途中降板。9月20日、11月から12月に出演が予定されていたミュージカル『クリスマス・キャロル』(劇団スイセイ・ミュージカル)についても降板が決まった。2015年9月23日には自宅療養中であることが公表され、同年11月5日開催予定のソロライブでの復帰を目指していた。 しかし、翌24日19時55分、胆管癌により死去。54歳没。葬儀は青山葬儀所にて浄土宗式で執り行われ、夫・鎧塚俊彦が喪主を、徳光和夫が司会をそれぞれ務め、生前所属していた太田プロダクションの代表取締役社長・磯野太、林真理子、倍賞千恵子が弔辞を読み、片岡鶴太郎が弔電を寄せた。出棺の際は約7分間の拍手で送られた。戒名は「秋想院彩優美俊大姉(しゅうそういんさいゆうみしゅんだいし)」で、川島と鎧塚の名前から一文字取っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「川島なお美」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Naomi Kawashima 」があります。 スポンサード リンク
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