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川島正行 : ウィキペディア日本語版
川島正行[かわしま まさゆき]

川島 正行(かわしま まさゆき、1947年9月27日 - 2014年9月7日)は、船橋競馬場所属の調教師・元騎手。千葉県調教師会会長。
南関東公営競馬の調教師リーディングの常連としてその名を知られた。実の息子の川島正一も船橋競馬場の調教師、川島正太郎は騎手、川島光司は厩務員である。
== 人物 ==
千葉県山武郡松尾町(現・山武市)出身。実家が農家であったことから子供のころから農耕馬が身近におり、祭りの際には実際に乗るなど親しんでいた。近所の知人の紹介で、中学校卒業後に船橋競馬場の林正夫厩舎に入門。1964年10月に初騎乗すると、同年12月20日に初勝利を挙げた。船橋競馬場のリーディングジョッキーも一度獲得している。
1987年に騎手を引退すると、1990年に調教師へ転身。当初割り当てられた馬房数はわずか5つと厳しい環境からのスタートだったが、早くも1992年にキタサンテイオーで平和賞を制して調教師として重賞初制覇。1993年にはモガミキッカでダイオライト記念を勝ち、さらには1994年1995年サクラハイスピード東京盃を連覇している。この両馬を始め、他にも中央競馬で見切りをつけられた競走馬を手掛け、それがもう一花咲かせる馬も多いため、川島厩舎は野球の野村克也の「野村再生工場」をもじった「川島再生工場」の異名を持つ。これには、調教師免許を取得してから実際の開業までの1年余り、浦河の谷口牧場に住み込み、故障馬の扱いなどを学んだことに原点があると自ら語っている。
自厩舎生え抜きの馬やホッカイドウ競馬デビュー馬からも多く活躍馬を出し、アジュディミツオーフリオーソなどダートを代表する馬を育てた。南関東では所属馬の圧倒的な強さ(勝率は勿論、連対率まで考慮すると驚異的な数字を残している)から、競馬ファンや関係者の間からは畏敬の念を込めて「川島軍団」と呼ばれている。
中央競馬の遠征では未勝利(2010年現在)であるが、2005年には初めて地方競馬所属馬であるアジュディミツオードバイワールドカップに送り出し、同馬で同年12月の東京大賞典を調教師として史上初めて連覇した。
2006年には南関東で年間100勝を挙げる快挙を達成。NARグランプリにおいて5年連続7回目の最優秀調教師賞に輝き、アジュディミツオーも2年連続で年度代表馬及びサラブレッド系4歳以上最優秀馬に輝き、フリオーソもサラブレッド2歳最優秀馬に選出された。また、NARグランプリ2006の発表当日に行われた船橋記念を中央競馬からの転入初戦となった2004年の全日本2歳優駿の優勝馬プライドキムで制して、地方通算700勝を達成した。
2010年7月5日、川崎競馬第5競走をアミーゴで勝利し、地方競馬通算1000勝を達成した。
2014年9月7日、呼吸不全のため千葉県習志野市内の病院で死去〔船橋の名伯楽 川島正行調教師が死去 サンケイスポーツ予想王 2014年9月7日閲覧〕。。同月26日、師を称えて船橋競馬場の第10競走で「船橋最強調教師 川島正行追悼記念」の競走が行われた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「川島正行」の詳細全文を読む



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