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川崎ローム斜面崩壊実験事故 : ウィキペディア日本語版
川崎ローム斜面崩壊実験事故[かわさきろーむしゃめんほうかいじっけんじこ]

川崎ローム斜面崩壊実験事故(かわさきロームしゃめんほうかいじっけんじこ)は、1971年(昭和46年)11月11日科学技術庁国立防災科学技術センターなどが川崎市生田緑地公園で行った斜面崩壊実験の失敗により発生した事故である。実験関係者・報道関係者ら15名が生き埋めとなって死亡した。現在は生田緑地内、川崎市岡本太郎美術館そばに慰霊碑が建っている。
当時の平泉渉科学技術庁長官11月15日に引責辞任した。
== 実験の概要 ==
この実験は四省庁の研究機関(科学技術庁国立防災科学技術センター通商産業省工業技術院地質調査所自治省消防庁消防研究所建設省土木研究所)による合同実験で、斜面崩壊の発生機構を解明すべく、科学技術庁が昭和44年度から三カ年計画で進めてきた関東ローム層で構成された台地における斜面崩壊に関する総合研究の一環として行なわれたもの。
生田緑地公園内に設定された試験地において、実際に斜面に散水し降雨を再現することで、人工的に斜面崩壊を発生させ、基礎データを収集しようとするものであった。
この実験と試験地の選定については、昭和42年度から準備が開始され、横浜市磯子地区、南多摩の造成地、川崎市周辺などが候補にのぼっていたが、昭和45年2月18日付で正式に川崎市長から許可を取得して現場が定められた。また、昭和46年6月9日にこの実験計画の承認が行なわれている(決裁は研究調整局長)。
試験地の斜面角度は30、崩壊予定部の底辺は幅100m、観測計器・観測用ビデオカメラの設置場所は斜面最下部から約50m離れた箇所、丸太の防護柵の高さは1mであった。試験地の両側は木立が茂っており、計測班や報道陣は試験地の側面ではなく、崩落面の正面(流れてくる下側)で計測・記録を行っていた。
現地における予備実験(予備散水)は、4月27-28日、7月8-9日、11月4-6日の合計7日間行なわれ、さらに11月7日は雨が降っていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「川崎ローム斜面崩壊実験事故」の詳細全文を読む



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