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川崎 守之助(かわさき もりのすけ、1905年2月26日〔『人事興信録 第14版 上』、カ171頁。〕 - 1977年9月10日〔『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』114頁。〕)は、日本の経営者、教育者。初代川崎八右衛門の孫で、2代目川崎八右衛門の長男〔。東京川崎財閥第3代目当主。千葉工業大学第6代目理事長。妻は有島生馬の長女・暁子〔。 == 来歴・人物 == * 1905年(明治38年) 東京府(現・東京都)に生まれる〔 * 1916年(大正5年) 学習院初等科卒業 * 1921年(大正10年) 学習院中等科卒業 * 1928年(昭和3年) ケニオン大学卒業、B.A.取得 * 1929年(昭和4年) 日本火災保険株式会社取締役に就任 * 1936年(昭和11年) 株式会社川崎定徳会代表取締役に就任 * 1943年(昭和18年) 日本火災保険株式会社取締役社長に就任 * 1945年(昭和20年) 日本火災保険株式会社取締役会長に就任 * 1947年(昭和22年) 貴族院議員に勅撰される * 1949年(昭和24年) 千葉工業大学6代目理事長に就任 * 1952年(昭和27年) 株式会社定徳会取締役会長に就任 * 1972年(昭和47年) 内閣総理大臣から紺綬褒章を授与 * 1977年(昭和52年) 満71歳没 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「川崎守之助」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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