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川崎 真裕美(かわさき まゆみ、1980年5月10日 - )は、日本の競歩選手〔。現姓は喜多〔若おかみは元五輪選手=競歩から転身、夢新た-喜多真裕美さん (2015/05/26-05:18)時事ドットコム〕。 茨城県笠間市出身。茨城県筑西市協和地区にある海老沢製作所に1999年から2008年11月まで所属、2008年12月から2013年1月まで富士通に所属した。日本代表としてオリンピックはアテネ以降の3大会、世界選手権はヘルシンキ以降の4大会に連続出場を果たした。2009年にはアジア選手権20km競歩で優勝、日本選手権20km競歩は2004年第87回大会以降5回優勝を飾った。10km競歩・20km競歩・5000m競歩・10000m競歩など各種目で日本新記録を樹立した〔競歩・川崎真裕美選手 退社のお知らせ 富士通陸上競技部 (2013-01-18). 2014年8月4日閲覧〕。 ==略歴== *出生地は福島県、笠間東中-茨城県立下館第二高等学校出身。 *中学校時代はバレーボール部に所属していた〔「世界陸上ヘルシンキ」 世界に誇る脚線美 川﨑真裕美 TBS. 2014年8月15日閲覧〕。高校入学後に陸上部へ入部。初めは800mや3000mが専門だったが、高校2年時に下館第二高校教諭で陸上部顧問の鈴木理弘から「全国大会に出られるぞ」と勧められて競歩を始めた〔〔「ロンドン五輪2012(7)競歩女子 川崎真裕美選手32」 読売新聞 2012年7月23日東京朝刊, 茨城東版, 29ページ〕。鈴木からは高校卒業後の実業団時代も含めて1997年から2008年まで指導を受けた〔「ロンドン五輪 川崎選手 筑西から声援 女子競歩20キロ 18位」 読売新聞 2012年8月13日東京朝刊, 茨城東版, 23ページ〕。1999年、協和町の部品メーカー海老沢製作所に入社、事務職に励むとともに鈴木の指導のもと母校の下館第二高校を拠点に競技に取り組んだ。1999年のアジアジュニア選手権10000mで2位入賞を果たす。しかし、2000年から2002年にかけて貧血に苦しんだ〔「いばらき発・世界へ (11)川崎真裕美さん 競歩でアテネへ」 読売新聞2004年1月15日東京朝刊, 茨城東版, 32ページ〕。食事療法や社長の海老沢からのアドバイスを受けてこれを克服している〔〔三木幸治 「いばじん ここが聞きたい 80 競歩選手・川崎真裕美さん」 毎日新聞2004年3月2日朝刊, 茨城地方版, 22ページ〕。 *2003年11月の全日本競歩高畠大会20km競歩で1時間32分16秒の日本新記録を樹立し優勝、アテネオリンピックの参加標準記録Aを突破した。 *アテネオリンピック女子20km競歩代表(40位)。 *2004年から2006年にかけて、日本選手権女子20km競歩で3連覇を果たす。日本選手権は2008年、2010年も合わせて5勝した。 *北京オリンピック女子20km競歩代表(14位)。 *2008年12月に富士通へ移籍。今村文男(富士通陸上競技部コーチ)の指導を受ける。 *2012年11月に入籍。2013年1月に富士通を退社した後、石川県小松市で老舗旅館の女将として歩んでいる〔北野新太 (2014-06-21). NEWS探検 日本一速く歩く女将・喜多真裕美さん「競歩で3大会連続五輪出場」 スポーツ報知. 2014年8月4日閲覧〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「川崎真裕美」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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