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川平 慈英(かびら じえい、Jay Kabira、1962年9月23日 - )は、沖縄県那覇市出身の俳優、タレント、スポーツキャスター、ナレーターである。また、熱狂的なサッカー好きとしても知られ、主にテレビ朝日のサッカー中継等でスポーツキャスターを務めている。ケイファクトリー所属。名前はJ(ジェイ)・カビラと表記される場合もある。愛称:「ジェイカビ」。 母親はアメリカ人。父親の川平朝清は元アナウンサー(琉球放送→沖縄放送協会→NHK)で現在は昭和女子大学の職員。 タレントでJ-WAVEのナビゲーターとして知られるジョン・カビラ(本名・川平慈温)と元日本マクドナルドマーケティング本部本部長の川平謙慈(現在シカゴ在住・鉄道関連会社勤務)は、実兄である。 バプテスト教会を信仰するクリスチャンである。 == 来歴・人物 == 1972年5月15日の沖縄本土復帰に伴う父親の転勤で家族と共に東京に転居した。玉川学園高等部時代、読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ)のユースチームに在籍した。中高生時代はサッカー部、クリエイティブムーブメント部、そして英語劇部に入部していた。英語劇部では『ジーザスクライストスーパースター』や『WEST SIDE STORY』(Baby John役)等のミュージカルに出演した。高校卒業後、一旦玉川大学文学部芸術学科に入学するが、すぐに中退してテキサス州立大学にサッカー留学した後に帰国し(サッカー部の監督と方針を巡って意見が対立したため)、上智大学比較文化学部に入学・卒業。大学在学中にミュージカル俳優としてデビュー。 その後、1991年にWOWOWの「WOWOWスーパーサッカー」・イタリアセリエA実況中継のメインキャスターとして出演。これがサッカーキャスターとしてのデビュー作となり、2年後の1993年に開幕されるJリーグに合わせ、テレビ朝日『ニュースステーション』が募集したサッカーキャスターのオーディションに応募し、日米での選手経験などが評価されて合格した。サッカーへの熱情にあふれた川平の語り口はそれまでのプロ野球の結果を伝えるアナウンサーの冷静な対応とは全く異質であったが、テレビでの彼の活動基盤を作った。 また、『ニュースステーション』に出演する中で横浜フリューゲルスのサポーターとなっていき、番組内でも応援をした。そして1998年10月29日に発表された同チームの横浜マリノスへの統合も同番組で伝えたが、同時にこの決定を強く批判し、チーム存続への団結を呼びかけた。結局、フリューゲルスの統合は食い止められなかったが、川平はチーム存続運動から1999年に誕生した横浜FCを応援した。また、テレビ東京『三菱ダイヤモンド・サッカー』のキャスターとして自らのサッカー経験を生かしたユニークな解説で人気を集め、サッカーキャスターとしての活動をさらに広げた。『ニュースステーション』の終了後、川平はテレビ朝日がサッカー中継で特別番組を制作する際のキャスターとして随時起用された。 テレビの他、舞台や映画、ラジオでも活躍。シリアスな演技もこなすが、ミュージカル俳優としての特徴を生かせる役も多い(特に舞台では三谷幸喜作品にも多く出演)。 テレビ東京『ASAYAN』ナレーションでの決まり文句「いいんです!」(これは兄のジョン・カビラが都並敏史とのやり取りの中で使っていたのを川平が拝借したものである)で有名に。なお、都並は読売時代のチームメイトである。 サッカー中継の際のハイテンションな語り口調(「ムムッ!」「ハーフナー・マイクーぅ!!」など)は、漫才コンビの博多華丸・大吉の博多華丸に真似されていることで知られる。物真似は本人公認となっている。ちなみに、川平の口癖である「ムムッ!」は、元々は華丸が物真似をする際に言っていたものである。〔博多華丸大吉メレンゲの気持ちで川平慈英さんとの交流エピソードを語る「ムムッッ!!」 〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「川平慈英」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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