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川平 朝清(かびら ちょうせい、1927年8月30日 - )は、台湾台中市生まれ、沖縄県育ちの元琉球放送(RBC)アナウンサー、元沖縄放送協会・日本放送協会(NHK)役員。昭和女子大学名誉理事・名誉教授(2011年 - )〔役員の紹介 (学校法人昭和女子大学)〕。現在は横浜市在住。 == 人物 == 通訳や音楽の分野で琉球王朝に仕えた川平家の末裔。愛称は「カビラ・キヨシ」。バプテスト派のクリスチャン(日本バプテスト連盟)。妻は米国人で、3人の息子は、ディスク・ジョッキー・タレントのジョン・カビラ(長男)、元日本マクドナルドマーケティング本部長の川平謙慈(次男)、俳優・タレントの川平慈英(三男)。 戦前は台湾の「台湾放送協会」で、実兄の朝申とともに放送劇や台湾芸能など、ラジオ番組にかかわる。医学を志し、台北高等学校に学ぶ。戦後は沖縄に引き揚げたが医学の道を断たれ、米兵の相手をする沖縄女性の性病検査の仕事をしていたこともある。後に沖縄民政府の芸術課長となった。 1950年代前半、兄の朝申とともにRBCの設立に尽力し、開局後は同局の第1号アナウンサーとなった。後にテレビ開局後から現在まで放送開始・終了時に流れる「RBCソング」の作詞を担当した。その後アメリカ・ミシガン州立大学留学を経て常務に就任。1967年9月23日、米軍統治下の琉球政府によって設けられた「沖縄放送協会経営委員会」によって沖縄放送協会会長に任命されたため、RBCを退社して初代会長に就任する。 1972年5月15日、沖縄本土復帰に伴って沖縄放送協会は解散。家族で東京へ移り、NHKの経営主幹となった。NHK退職後は学校法人昭和女子大学副理事長などを歴任。沖縄関連で今上天皇に度々進講している。 本土復帰とともに沖縄を離れたこともあり、現在では「ジョン・カビラ、川平慈英兄弟の父親」として知られている。息子たちもテレビ番組においては、朝清本人については「一父親」としての側面を語るにとどまっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「川平朝清」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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