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川本信正[かわもと のぶまさ]
川本 信正(かわもと のぶまさ、1907年9月22日 - 1996年6月17日)は、日本のスポーツジャーナリスト、新聞記者、スポーツ評論家。 == 人物 == 東京府出身。府立一中(現・東京都立日比谷高等学校)を経て1931年東京商科大学(現・一橋大学)を卒業し、織田幹雄の推薦により読売新聞に入社〔日本陸上競技連盟七十年史編集委員会『日本陸上競技連盟七十年史』ベースボール・マガジン社、1995年、403頁〕。スポーツを担当する運動部の記者となる。 1932年のロサンゼルスオリンピックで100メートル競走に6位入賞した短距離走者の吉岡隆徳を(同種目で金メダルを獲得したアメリカのエディ・トーランの愛称「深夜の超特急(midnight express)」にちなむ形で)「暁の超特急」と形容した。1936年の国際オリンピック委員会(IOC)総会で、1940年夏季オリンピックの東京開催が決定した際、オリンピックに「五輪」という略称を考案して記事の見出しに使用したことでも知られる〔『読売新聞』2005年5月18日朝刊東京本社13版13頁コラム「新日本語の現場」〕。 また、西田修平と大江季雄の『友情のメダル』の逸話を新聞記事にしたのも川本であったという〔西田修平・大江季雄「友情のメダル」 ~美談の真相 オリンピックコラム・日本オリンピック委員会公式サイト〕。 1945年、鈴木貫太郎内閣で下村宏内閣情報局総裁秘書官を務める。第二次世界大戦後はスポーツ評論家、日本オリンピック委員会(JOC)委員。1964年の東京オリンピックの閉会式では日本テレビの中継解説者を務めた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「川本信正」の詳細全文を読む
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