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川本徳三[かわもと とくぞう]
川本 徳三(かわもと とくぞう、1934年10月24日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手(投手)。 == 来歴・人物 == 基町高校では、2年生エースとして1951年の広島県大会ではチーム初のベスト4まで進出した。この年に広島カープ後援会が川本に目を付け、左投手不足だったチーム事情もあって、広島に入団させるため勧誘した〔カープ50年 夢を追って、中国新聞社、1999年11月、P45〕。高校2年生と言うこともあって何度も入団を拒否していたが、翌年に広島の紅白戦に呼ばれて前年の県大会で投げ合い、すでに広島へ入団していた大田垣喜夫の投げている姿を見て、石本秀一監督から「入ってやってみんか」と言われ、開幕6日前の3月15日、ついに入団を決意した〔。 2年目に初勝利し、7勝を挙げた。読売ジャイアンツ戦には強い投手だった〔。1958年に引退。 引退後、広島の初代スコアラーに就任〔。親会社・東洋工業の電算室と協力して1年間の選手データを分析、白石勝巳監督に進言して、1964年5月5日の巨人戦(後楽園)で初めて王シフトを実現した〔。1966年から2年間は一軍投手コーチを務め、安仁屋宗八を育てた〔。 投球する時に舌を出す癖と童顔から、人気キャラメルの名前に因んで「ミルキー」の愛称で親しまれた〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「川本徳三」の詳細全文を読む
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