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川畑幸一 : ウィキペディア日本語版
川畑幸一[かわばた こういち]

川畑 幸一(かわばた こういち、1957年(昭和32年)1月17日 - )は、福岡県出身の空手家で、極真会館(松井派)近畿地区本部長兼京都支部長。段位は六段。現役時は、身長164センチメートル・体重70キログラム。
== 来歴 ==
愛知県内の高校卒業後、1976年(昭和51年)に極真会館本部道場の若獅子寮に入寮し、大山倍達の内弟子となった。
1979年(昭和54年)5月に第11回オープントーナメント全日本空手道選手権大会準々決勝で、中村誠から左上段回し蹴り技ありを奪ったが、延長戦で敗れる。なお、選手権大会で中村が技ありを取られたのは二宮城光との対戦(第10回全日本大会準決勝)と川畑との試合だけである。同年の第2回オープントーナメント全世界空手道選手権大会の4回戦で身長179センチメートル・体重100キログラムのオーストラリアチャンピオンのトニー・ボーデン、5回戦で藤原賢治(その後、国際大山空手道連盟師範を経て、現在は極真館米国支部長)を下し、8位に入賞した。これらの活躍で小さな巨人と呼ばれた〔 『新・極真カラテ強豪100人(ゴング格闘技1月号増刊)』 日本スポーツ出版社1997年(平成9年)、110-111頁。〕。
1982年(昭和57年)に京都支部を開設し、第17回全日本選手権で現役を引退。現在、同支部で門下生を育成する他、選手権大会の決勝戦などで主審を担っている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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