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川相昌弘 : ウィキペディア日本語版
川相昌弘[かわい まさひろ]

川相 昌弘(かわい まさひろ、1964年9月27日 - )は、岡山県岡山市南区出身の元プロ野球選手内野手)、プロ野球コーチプロ野球三軍監督
現役時代は読売ジャイアンツ中日ドラゴンズで活躍。同期入団には斎藤雅樹がいる。通算533本の犠牲バントはギネス記録で、「バント職人」の異名を持つ。巨人史上屈指の守備力を誇る遊撃手でもあった。息子に読売ジャイアンツの川相拓也がいる。
ニックネームはしわが多く老け顔だったことと「和製オジー・スミス」に引っ掛けて「ジイ」。あるいは、「人生送りバント」と表現する者もいる。
2013年より巨人の一軍ヘッドコーチを務めた。2016年からこの年から新設される三軍監督を務める。
== 来歴・人物 ==

=== 高校時代 ===
岡山市立第二藤田小学校、藤田中学校から岡山県立岡山南高等学校へ入学。岡山南高では投手として活躍し、の第63回全国高等学校野球選手権大会との第54回選抜高等学校野球大会の2回、甲子園に出場した。1982年の春は主将も務め、2回戦で早稲田実と対戦。敗れはしたものの、荒木大輔と互角の投手戦を演じた。その年の夏も甲子園出場を期待されていたが、岡山大会の準決勝で岡山東商に敗れ、最後の夏は甲子園に出場できなかった。この時、岡山東商の4番を打っていたのが、当時2年生の八木裕だった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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