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川石酒造之助[かわいし みきのすけ] 川石 酒造之助(かわいし みきのすけ、1899年8月13日 - 1969年1月30日)は日本の柔道家(講道館7段)。兵庫県姫路市出身。 == 来歴 == 姫路中学から早稲田大学を経て、アメリカに留学、その後ロンドンを経由してパリで柔道指導を行う。1935年、パリで日仏柔道倶楽部を創立する。この後、日本語による技名ではなく、外国人への教授法を新たにつくり、川石メソッドとして紹介した。1946年、柔道七段。1950年、助手として粟津正蔵を迎える。1951年、「川石方式」を出版。1951年には、安部一郎(現10段、講道館参与)が講道館から派遣されてトゥールーズの修道館で指導を始め、1954年、フランス講道館柔道連盟を創立する。この頃、組織が沢山できて柔道界は分裂の様相を呈していた。1956年、フランス政府の介入により連盟が一本化される。川石道場は連盟に登録しなかったので、次第に公的な場からは離れていき、晩年は寂しいものであったが、“フランス柔道の父”としての評価を得ている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「川石酒造之助」の詳細全文を読む
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