翻訳と辞書
Words near each other
・ 川西市立東谷中学校
・ 川西市立東谷小学校
・ 川西市立桜が丘小学校
・ 川西市立清和台中学校
・ 川西市立清和台南小学校
・ 川西市立清和台小学校
・ 川西市立牧の台小学校
・ 川西市立緑台中学校
・ 川西市立緑台小学校
・ 川西市立陽明小学校
川西市立黒川小学校
・ 川西市郷土館
・ 川西幸一
・ 川西政明
・ 川西明峰高校
・ 川西明峰高等学校
・ 川西村
・ 川西村 (北海道)
・ 川西村 (大阪府)
・ 川西村 (岐阜県)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

川西市立黒川小学校 : ウィキペディア日本語版
川西市立黒川小学校[かわにししりつ くろかわしょうがっこう]

川西市立黒川小学校(かわにししりつ くろかわしょうがっこう)は、かつて兵庫県川西市黒川にあった公立小学校
== 概要 ==
川西市内最古の小学校〔但し休校に伴い、現在は川西小学校が最古である(1878年7月1日設立)。〕。また、川西市内及び兵庫県内最東端の小学校でもあった。
1873年に黒川、国崎、横路の住民の運動によって、甘露寺の建物の一角を借りて開校した〔礎(いしずえ)近代が残したもの #20 - 築102年古里の原風景 旧黒川小学校 神戸新聞2006年2月9日記事。〕。創立当時の児童数は16人、教職員は1人だった〔。東谷村では、東谷小学校しか他になかったため、生徒数は増加の一途を辿り、1904年には北校舎を改築した〔。
第二次世界大戦が始まると、大阪市神戸市などの都会からそう遠くない事もあって、疎開する児童が増加。1945年に初めて児童数が100人を超えたため、1947年に南校舎を増築〔。終戦直後が児童数のピークだった。しかし、場所が非常に不便だった事や川西市制開始による都市化の進行に伴い、過疎化が進行。加えて1968年一庫ダムの建設計画が持ち上がって、校区の一部が水没し、地区外へ移転する世帯が出ることが決定された〔。そして1977年3月31日を以て休校となり、最後の児童19人〔は東谷小学校に編入された。廃校閉校の措置を取らず休校にしたのは、「いつか子どもが増えたときは再開してほしい」という地元住民の意思を、川西市側が尊重した結果だった〔。
休校後は、黒川公民館として一般に開放。貴重な木造校舎で、使い込まれたイス教材〔また昭和末期(1988年頃)には飲みかけのバヤリースオレンジが瓶ごと残されていた。〕が残されている事もあって、観光地としての地位も確立している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「川西市立黒川小学校」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.