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川越市の歴史 : ウィキペディア日本語版
川越市の歴史[かわごえしのれきし]

川越市の歴史(かわごえしのれきし)は、埼玉県川越市の市域における歴史自治体史である。
== 通史 ==

=== 先史・古代 ===

* 市域のほとんどは武蔵野台地にあるが、市の荒川沿いの東南端部は縄文時代前期には遠浅の内海(古東京湾)で(縄文海進)、小仙波貝塚など漁労を立証している。寺尾貝塚は現存する最北端の古東京湾の貝塚で、打製石斧なども出土している。縄文時代中期の遺跡は武蔵国では入間郡に集中して存在している。縄文時代後期は海退が進み、現在の地形に近づいていったが、武蔵野台地は狩猟採集活動に適した地形・地質で、仙波台地や新河岸台地などでは縄文式土器竪穴住居跡を発掘している。老袋の入間川畔の沖積地からは縄文時代後期の丸木舟も出土している。小畔川畔には鶴ヶ丘遺跡や霞ヶ関遺跡など弥生時代の集落址が点在している。
* 古墳時代には市内の河川流域に、仙波古墳群(大仙波古墳群・小仙波古墳群)、下小坂古墳群、的場古墳群、南大塚古墳群など夥しい古墳が築かれるようになった。小仙波古墳群の三変稲荷神社古墳4世紀方墳で、埼玉県内最古の古墳の1つ。南大塚古墳群の主墳・山王塚古墳は珍しい上円下方墳で、上円下方墳では東日本最大である。周辺には集落の遺構もある。対岸の的場古墳群の主墳・牛塚古墳は入間川流域最大の前方後円墳で珍しい重葬式石室を有し、東日本で唯一の金銅製指輪を出土している。これら古墳は埼玉県選定重要遺跡となっている。
* 富士見町にある占肩鹿見塚は、飛鳥時代以降に編まれた万葉集巻14の東歌に詠まれたところで、埼玉県指定史跡となっている。

''武蔵野に占へかたやきまさでにも告らぬ君が名占に出にけり''


* 律令制が確立すると、入間川に近い上戸には入間郡役所である入間郡家(いるまぐうけ)が置かれ、上野国下野国から武蔵国の国府府中)に至る官道東山道武蔵路が通じ、日本各地で作られた須恵器土師器が出土しておりこの地方の中心であったことが分かる。
* 奈良平安時代には、川越は「三芳野の里」と呼ばれ、伊勢物語には川越(みよし野)の様子が詠われている。江戸期に編まれた新編武蔵風土記稿ではこの場所を市内の的場だと比定している。

''みよし野の田の面の雁もひたぶるに君がかたにぞ寄ると鳴くなる''


* 平安時代になると、荘園が形作られ、武蔵七党村山党の1つ・仙波氏(仙波から南の一帯)を始め、地頭古尾谷氏石清水八幡宮の荘園だった古谷本郷)、山田氏(山田)など荘園を支配する武蔵武士が台頭し、都や国衙と繋がった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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