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川越市蔵造り資料館(かわごえしくらづくりしりょうかん)は、埼玉県川越市にある川越市立の博物館。 == 概要 == 明治26年(1893年)3月17日の川越大火の直後に建築が始められ同年12月に完工した蔵造りの商家を博物館にしたもの。煙草卸問屋だった小山文造が建てた「万文」(まんぶん)で、小山家は江戸時代から刻み煙草などを製造していた豪商で、明治時代に煙草が専売制度となると「煙草元売捌人」に指定され財を成した。 川越の象徴である蔵造りであるが、蔵造りが文化財であるという文化的な視点は昭和50年代の半ばまでの川越市の行政には全く無く、蔵造りが集中する川越一番街のある埼玉県道39号川越坂戸毛呂山線の道路の拡幅を計画したり、また蔵造りの町並みが虫喰い的に破壊され高層住宅に変わっていっても何ら危機感も対策もなく、そうした市の行政の意識の低さが旧市街地がすさみ斜陽化していた原因であった。今日、川越で蔵造りの家並が残っているのは住民主導の保存運動の賜物である。 昭和47年(1972年)、「万文」の建物が売却され取り壊しの動きが出ると、保存を求める市民運動が澎湃として起こり、川越市の行政のあまりの無策振りに呆れ憤る声が上がった。その結果、はじめて市が動き、川越市の開発公社が土地・建物を取得して「万文」は再生され、昭和52年(1977年)10月に「川越市蔵造り資料館」という啓蒙的な施設に結実したものである。 1971年に「大沢家住宅」が国の重要文化財の指定を受けたのと併せ、蔵造りを安易に取り壊して高層マンションにするようなことは川越の自殺行為に等しく決して許されず、行政には歴史的遺構を守る責務があり、「蔵造りは未来に伝えて行かなければならない川越の誇るべき文化遺産である」という意識を市民が共有したエポックメーキングなものとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「川越市蔵造り資料館」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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