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川路柳虹 : ウィキペディア日本語版
川路柳虹[かわじ りゅうこう]
川路 柳虹(かわじ りゅうこう、明治21年(1888年7月9日 - 昭和34年(1959年4月17日)は明治・大正・昭和期の詩人評論家。本名は誠。
== 略歴 ==
幕末旗本外国奉行川路聖謨の曾孫。祖父は川路彰常(あきつね)。父は川路寛堂、母は花子(浅野長祚の五女、母方の祖父は岩城隆喜)。
東京府生まれ。幼少期は福山市や淡路洲本で過ごした。洲本中学時代から文学に関心をもち『中学世界』などに投稿を始めた。
1903年(明治36年)、京都の美術工芸学校に入学した後もそれは続き、『文庫』や『新声』などに多くの作品が掲載された。河井酔茗の主宰する詩草社に参加。
1907年(明治40年)、口語体自由詩「塵溜」などを『詩人』に発表して注目され、詩壇に大きな波紋を投じた。
その後、東京美術学校(現・東京芸術大学)に進む。詩作は旺盛で『早稲田文学』、『文章世界』、『創作』などに発表。
1910年(明治43年)、処女詩集『路傍の花』を出した。口語自由詩を収録した最初の詩集としてその意義は大きく、七五調などの古い詩型を破り言文一致による新しい詩を創造したことで、詩における自然主義的革命が実現したといわれている。
1913年(大正2年)、東京美術学校日本画科卒業。その後 三木露風を中心とする詩誌『未来』の同人として活躍。1914年(大正3年)の第二詩集『かなたの空』には象徴詩の技法がみえる。
新進詩人として1918年(大正7年)『勝利』、1921年(大正10年)『曙の声』などの詩集を出した。曙光詩社を創立。評論やフランス詩壇の紹介の仕事も進めた。1922年、詩集『歩む人』以後は抒情性を脱し、知性派主知的詩人としての特色を強めた。
1927年(昭和2年)外遊、パリ大学で東洋美術史を学び、美術評論家としても知られ『現代美術の鑑賞』(1925年(大正14年))、『マチス以後』(1930年(昭和5年))などの美術評論の著書もある。評論でも『詩学』など著書も多い。
象徴主義詩人のポール・ヴェルレーヌ詩集も選訳した。少年期の三島由紀夫が、詩の面で師事した(回想記『私の遍歴時代』より。ちくま文庫で新版、他に中公文庫版「太陽と鉄」に収録)。
1958年(昭和33年)、『波』などにより日本芸術院賞受賞〔『朝日新聞』1958年2月22日(東京本社発行)朝刊、1頁。〕。70歳で死去。没後に遺稿詩集として『石』が上梓された。墓地は多磨霊園10区。なお息子の川路明はバレエダンサー指導者で、日本バレエ協会常務理事であった、著作に「バレエ入門」(土屋書店)がある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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