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川野純治[かわの じゅんじ] 川野 純治(かわの じゅんじ、1954年(昭和29年)9月22日 - )は、日本の政治家。沖縄県名護市議会議員、日本の新左翼党派の沖縄解放同盟準備会の元活動家、テロリスト。1975年、当時の皇太子・皇太子妃沖縄訪問に抗議し、ひめゆりの塔事件を起こした。熊本県球磨村生まれ 鹿児島県出水市育ち〔財団法人 わびあいの里 〕。 == 来歴 == 1975年7月17日、皇太子明仁親王(当時)および、同妃が、第二次世界大戦後初めて沖縄県を訪問していた。正午頃、沖縄県糸満市の白銀病院で入院中の患者、もしくは見舞い客に偽装し、3階のベランダに潜伏した〔佐々淳行『菊のご紋章と火炎ビン』ISBN 978-4163712000(文藝春秋、2009年)77p.〕。皇太子明仁親王(当時)、同妃の車両が病院の下を通過する際、川野は「皇太子帰れ、天皇制反対」等と叫びながらガラス瓶やスパナ、石などを投擲し、警備車両を破損した。川野は公務執行妨害の現行犯で逮捕された。なお当時の沖縄解放同盟準備会は「流血も辞さないたたかいで皇太子上陸を阻止する」と1975年初頭に宣言している。その後、川野に対する懲役1年6ヶ月の実刑判決が確定し、服役した〔〔皇太子ご夫妻“襲撃”元活動家が名護市市議に当選 辺野古に反米・反日グループ集結? 1/2P 産経新聞 2010年10月9日〕。 2010年9月、名護市議選に社民党の推薦を受けて立候補した。米軍基地の移設反対を徹底すると訴えて当選した。当選後、「名護市は生まれ変わる。稲嶺市政を支えて基地問題を解決したい」と語った〔移設ノーに追い風 名護市議選 「普天間に終止符打つ」比嘉祐さん 容認から反対―「民意示された」当選の反対派3人 沖縄タイムス 2010年9月13日〕。また、ある市議は、1975年の事件のことは投票日直前に一部市民の間で流れたが、ほとんどの市民は知らなかったと指摘した〔皇太子ご夫妻“襲撃”元活動家が名護市市議に当選 辺野古に反米・反日グループ集結? 2/2P 産經新聞 2010年10月9日〕。財団法人「わびあいの里」により公表されていた肩書きは、「社団法人沖縄県官公庁労働者共済会職員」であった〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「川野純治」の詳細全文を読む
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