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ピルグリム・ファーザーズ ピルグリム・ファーザーズ(Pilgrim Fathers)は、アメリカに渡ったイギリスのピューリタン(清教徒)たちである。「Pilgrims」は「巡礼始祖」の意味。 ==経緯==
16世紀、イギリスのエリザベス1世がイングランド国教会を確立したが、17世紀にかけて、教会の改革を主張する清教徒が勢力を持つようになり、特に国教会からの分離を求めるグループは分離派と呼ばれ、弾圧を受けていた。 この為、信仰の自由を求めた清教徒を含む102人がメイフラワー号に乗ってアメリカに渡った。メイフラワー号船上での「メイフラワー誓約(右図)」は社会契約説に基づくものとして知られる。1620年11月に北アメリカ大陸に到着したピルグリムファーザーズは、キリスト教徒にとって理想的な社会を建設することをめざした。 彼らの上陸地は、1614年にジョン・スミスが発表した地図で「ニュー・プリマス」と名付けられた地域だった〔『 History of Plymouth Plantation. Boston, Massachusetts: Little, Brown, and Company』(Bradford, William、1856年)〕。入植当初の状況は厳しく、イギリスから持ってきた野菜や小麦は収穫にとぼしかったため、翌1621年の4月までに半数程が病死した。ピルグリムファーザーズが上陸した土地には先住民インディアンのワンパノアグ族が暮らしており、ピルグリムファーザーズに食糧や物資を援助した。ワンパノアグ族のスクアントはイギリスに連れられて行った経験があるため英語を知っており、ピルグリムファーザーズに狩猟やトウモロコシの栽培などを教えた。1621年には収穫があったため、ピルグリムファーザーズは収穫を感謝する祝いにワンパノアグ族を招待した。祝宴は3日間におよび、料理が不足すると、ワンパノアグの酋長マサソイトは部族から追加の食料を運ばせた〔東理夫『クックブックに見るアメリカ食の謎』 64頁。〕。この祝宴が感謝祭のもとになったと言われている。ニュー・プリマスはやがて、発展するニューイングランドの最初の植民地となった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ピルグリム・ファーザーズ」の詳細全文を読む
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