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工富 保(くとみ たもつ、1949年1月10日〔宇都宮滋一『「ダメ!」と言われてメガヒット 名作マンガの知られざる制作現場』東邦出版、2003年、227頁〕〔「[編集長に聞く]週刊少年マガジン・工富保さん おしゃれ、涙、感動」『毎日新聞東京本社版』2004年9月3日付夕刊、8面。〕 - 2011年2月19日)は、日本の漫画編集者。男性。 == 経歴 == 高校時代は体操部で器械体操が得意だったという〔小林まこと『青春少年マガジン1978〜1983』講談社 早稲田大学卒業後〔「[雑誌・週刊誌斜め読み]『モーニング』の夜明け前」『毎日新聞東京本社版』1998年11月24日付朝刊、25面。〕、1973年に講談社へ入社〔。新人社員として配属された『週刊少年マガジン』編集部では松本零士『男おいどん』終盤や永井豪を担当〔。1978年にはギャグ漫画家だった柳沢きみおに恋愛マンガを注文し、ラブコメブームを巻き起こす『翔んだカップル』を誕生させる〔宇都宮、229-230、239-240頁〕。さらに小林まことの才能を見抜いてデビューに導き、『1・2の三四郎』の連載を決める〔小林、18-22、45頁。〕。その後も、『シェリフ』(原作:鶴見史郎(すがやみつる)、画:真樹村正(現・どろんぱ))、『THE STAR』(島崎譲)などを担当。 『週刊少年マガジン』編集部に19年在籍した後、『BE・LOVE』や『BE・LOVEブライダル』の編集長を5年半務め〔宇都宮、264頁〕、1998年2月より『モーニング』の2代目編集長〔、2001年8月より『イブニング』創刊編集長、2003年2月〔から2004年12月まで『週刊少年マガジン』編集長を務めた。 講談社の役職としては役員待遇第三編集局長を務め〔、2010年1月に定年退職した 〔十野七(七見水晶)「工富さんが亡くなられたそうです。 」 ミニマムきろく 2011年2月23日〕。 2011年2月9日に死去。通夜には約500人が集まった。自分にとって本当のホームランは『翔んだカップル』が唯一という柳沢きみおは訃報を知り、約1週間ロウソウを灯して合掌したという〔柳沢きみお「なんだかなァ人生 連載第47回」『週刊新潮』2011年4月14日号、p.95〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「工富保」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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