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工藤政志 : ウィキペディア日本語版
工藤政志[くどう まさし]

工藤 政志(くどう まさし、1951年8月24日 - )は、日本プロボクサー。身長178cm。1975年から1978年日本ミドル級王者を8度防衛した後、1978年から1979年にかけてWBA世界ジュニアミドル級王者となり、3度の防衛に成功した。レスリング出身でインターハイ3位という成績を持ち、ミュンヘンオリンピックの代表から外れたためにプロボクシングに転向したという経歴を持つ〔千葉雄『秋田のプロボクサー』(秋田魁新報社、2002年、ISBN 4870202174)〕。
== 来歴 ==

=== プロデビュー以前 ===
1951年、秋田県南秋田郡五城目町に生まれる。小学2年生の時に父を亡くした工藤は、新聞配達などで家計を助けた〔。五城目町はレスリングが盛んで、工藤も進学先の秋田県立五城目高等学校ではレスリング部に所属、インターハイ65kg級3位入賞などの成績を残す〔。
高校卒業後もレスリングを続けるため自衛隊体育学校に入学するも、1972年にミュンヘンオリンピックの代表選考から漏れ、ボクシングへ転向する〔。この転向には、同じ自衛隊体育学校で、ボクシングのミュンヘンオリンピックの代表となった小林和男(後のロイヤル小林)の影響があった〔。転向後の全日本社会人ボクシング選手権大会で優勝した工藤は、翌1973年に熊谷ジムからプロデビューを果たした〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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