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工藤治人(くどう はると、1878年1月 - 1963年10月)は、日産自動車の元社長。 == 年譜 == *1902年 京都帝国大学機械工学科を卒業し、住友別子鉱業所に入所 *1905~1910年 ドイツ留学 *1912年 工学博士の学位をうける *1917年 株式会社住友鋳鋼所(のち住友製鋼所)取締役支配人に就任 *1920年 戸畑鋳物株式会社専務取締役に就任(翌年、取締役社長) *1925年 株式会社安来製鋼所専務取締役就任(翌年、取締役社長)ここで、桜ハガネ(YS印)を開発し、現在のYSSヤスキハガネ(国産による初の高性能特殊鋼)の基盤を作る(安来製鋼所は現;日立金属安来工場)。 *1929年 同社取締役社長に就任 *1933年 財團法人日本刀鍛錬會(旧日本陸軍外郭団体)顧問に就任 *1936年 日立製作所との合併により同社専務取締役に就任 *1944年 日産重工業株式会社(のちの日産自動車)の生産責任者兼取締役社長に就任 *1963年10月 死去 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「工藤治人」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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