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工藤祐舜[くどう ゆうしゅん] 工藤 祐舜(くどう ゆうしゅん、1887年〈明治20年〉 - 1932年〈昭和7年〉)は、日本の植物学者。現在の秋田県横手市(旧増田町)生まれ。 増田町通覚寺十九世でもある。 == 経歴 == 1901年(明治34年)に札幌農学校(現北海道大学)へと入学し、宮部金吾のもとで学んだ。東京帝国大学理学部(現東京大学)を卒業し、その後北海道帝国大学の助手に就任、後に助教授になった。 1925年(大正14年)にアメリカ合衆国へと留学、1928年(昭和3年)に帰国し台北帝国大学の農学部教授に就任した。1932年(昭和7年)、台北市にて心臓病で死去。没後に、正宗厳敬、鈴木蒔夫、福山伯明らによって、工藤を記念した学術雑誌「KUDOA」が創刊された(全5号、1933-1937年)。 ラン科キンラン属に彼の名前を冠したユウシュンランがある。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「工藤祐舜」の詳細全文を読む
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