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左京未知子[さきょう みちこ]
左京 未知子(さきょう みちこ、1937年1月7日 - )は、日本の女優、歌手である〔キネ旬, p.322.〕〔路・左京, ライナー。〕〔''左京未知子''、''jlogos.com'', エア、2014年9月9日閲覧。〕〔国立国会図書館サーチ 検索結果、国立国会図書館、2014年9月9日閲覧。〕〔''左京未知子''・''左京路子''・''郷絢子''、東京国立近代美術館フィルムセンター、2014年9月9日閲覧。〕〔''左京未知子''・''佐京未知子''・''左京路子''、日本映画情報システム、文化庁、2014年9月9日閲覧。〕〔''左京未知子''・''左京路子''・''郷絢子''、KINENOTE, 2014年9月9日閲覧。〕〔''左京未知子''、allcinema, 2014年9月9日閲覧。〕〔''左京未知子''、日本映画データベース、2014年9月9日閲覧。〕〔''左京未知子''・''左京路子''、東宝、2014年9月9日閲覧。〕〔''左京未知子''・''左京路子''・''郷絢子''、日活、2014年9月9日閲覧。〕〔''左京未知子''、デジタル・ミーム、2014年9月9日閲覧。〕〔''左京未知子''・''左京路子''、テレビドラマデータベース、2014年9月9日閲覧。〕〔''Michiko Sakyô'', インターネット・ムービー・データベース 、2014年9月9日閲覧。〕〔作品データベース検索サービス 検索結果、日本音楽著作権協会、2014年9月9日閲覧。〕。日活に入社し、1956年(昭和31年)7月に郷 絢子(ごう あやこ)の名で映画に出演〔〔〔、翌8月に左京 路子(さきょう みちこ)に改称、これを公式には映画デビューとする〔〔〔〔。新東宝に移籍、グラマー女優として活躍するが、同社倒産後の1961年(昭和36年)に表記を改称〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔、テレビ映画を中心に出演する〔。1963年(昭和38年)には黎明期の独立系成人映画に出演し始め、1970年(昭和45年)には実演に転じ、1973年(昭和48年)には引退した〔〔〔〔〔〔〔。本名は合満 綾子(ごうみつ あやこ)〔。 == 人物・来歴 ==
=== 日活・新東宝の時代 ===
1937年(昭和12年)1月7日、京都市左京区に生まれる〔。 日活に入社し、郷 絢子の名で、1956年(昭和31年)7月12日に公開された鈴木清太郎(現在の鈴木清順)の監督作『悪魔の街』に「京子」役で出演したのが、もっとも早い時期の出演記録である〔〔〔。翌月の同年8月28日に公開された小杉勇の監督・主演作『暁の逃亡』での二役出演をもって、左京 路子に改称、現役当時のプロフィールや『日本映画俳優全集・女優編』等では、これを公式の映画デビューとしていた〔〔〔〔。満19歳であった。翌1957年(昭和32年)には1学年下にあたる筑波久子がデビューしており〔筑波久子 、''jlogos.com''、エア、2014年9月9日閲覧。〕、入れ替わるように新東宝に移籍した〔〔〔〔〔〔〔〔。同社では、新東宝の初代社長であった佐生正三郎が設立した日米映画が、日本テレビ放送網と提携して製作した中篇映画『殺人と拳銃』や『野獣群』(監督浅野辰雄)、『強奪された拳銃』(監督木元健太)に重要な役で出演し、『脱衣室の殺人』(監督沢賢介)では主演した〔〔〔〔〔。東宝系列の東京映画製作の映画にも借り出され、1959年(昭和34年)1月15日に公開された『グラマ島の誘惑』(監督川島雄三)に出演している〔〔〔〔〔。空手二段の段位を持つといい、同年6月6日に公開された『暴力娘』(監督曲谷守平)では、主役の万里昌代の特技である柔道を相手に格闘対決を演じた〔〔〔〔〔。テレビ映画にも出演を始めており、フジテレビジョンの『ミステリー午後十時』という一話完結シリーズのうち、1960年(昭和35年)1月10日に放映された第9回『美しき仮面』では、大空真弓とともに出演し、主演している〔。同年末、新東宝の社長であった大蔵貢が退陣、1961年(昭和36年)1月21日に公開されたオムニバス『恋愛ズバリ講座』の第一話『吝嗇』(監督三輪彰)に出演したのを最後に左京 未知子と改称した〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔。同年1月7日放映の『東芝土曜劇場』第93回『駄目なのよ御免あそばせ』では、すでに新表記でクレジットされている〔。新東宝は同年8月31日に事実上倒産した〔秋山, p.153.〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「左京未知子」の詳細全文を読む
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