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左宗棠 : ウィキペディア日本語版
左宗棠[さ そうとう]

左 宗棠(さ そうとう、1812年11月10日 - 1885年9月5日)は、朝末期の著名な大臣。太平天国の乱の鎮圧に活躍し、洋務派官僚としても有名。中国では「清代最後の大黒柱」と非常に高い評価を受けている(文化大革命期に太平天国が持ち上げられると、逆に評価が下がったこともある)〔今谷、P173 - P174、P183 - P184。〕。字は季高、湖南省湘陰県出身。老亮と号する。
== 生涯 ==

=== 太平天国討伐 ===
士大夫の家系で、曾祖父・祖父と父は地元の教師だった。左宗棠は道光12年(1832年)に科挙挙人の資格を得たが、進士には合格出来ず3回も落第したため、官僚への道を諦めて湖南で家塾の師となり、歴史や地理の研究に没頭していた。友人の胡林翼は左宗棠の才能を高く買い、度々要人に左宗棠を推薦、道光29年(1849年)に湖南を訪れた林則徐と左宗棠が会談することもあったが、自らを清末の諸葛亮(孔明)と称していたため、大抵は変人扱いされていた。
道光30年(1850年)に太平天国の乱が勃発すると、胡林翼の推挙で湖南巡撫張亮基駱秉章の幕府に入り、楚勇を組織して太平天国軍の攻撃から長沙を守った。その後も諸省を転戦して軍功を立て、曽国藩の推薦で咸豊11年(1861年)に浙江巡撫となると、浙江へ移り太平天国との戦闘を継続、イギリスフランスと協力して金華紹興などを奪回、同治2年(1863年)に閩浙総督に昇進した。同治3年(1864年)には杭州を奪回し浙江を平定、徐宗幹瑞麟と協力して東南部の太平天国の残党の掃討にあたり、李世賢汪海洋ら残党勢力を楊昌濬劉典王徳榜康国器高連升鮑超黄少春蒋益澧林文察湘軍を派遣して任務を果たした。太平天国鎮圧後は曽国藩や李鴻章らと共に軍備強化のため洋務運動を推進し、福州船政局などを創設した〔梁、P70、P75、P90 - P95、並木、P165、今谷、P165 - P172、岡本、P50。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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